爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ヒトラー演説 熱狂の真実」高田博行著

昔の資料映像などを見ると、ヒトラーが熱弁をふるいそれに聴衆が熱狂的な反応をするといった場面がしばしば出てくるようで、ナチスドイツ国民の支持を取り付けるには重要な要素だったのかと思わせるものがあります。

 

著者の高田さんはドイツ語史が専門と言う方ですが、そのヒトラーの演説と言うものに着目しました。

入手できるかぎりのヒトラーの演説資料を分析し、コンピュータを用いて計量分析をしてやろうという方法です。

そして「ヒトラー演説150万語データ」というものを完成させました。

それを見ると、各時期の演説でどのような言葉が多く用いられているか、そしてその変遷はどうなのかといったことも分かります。

ただし、言葉だけを追っていっても当時の社会が分からなければ仕方ないということで、歴史学者の方々の協力も受け、こういった本をまとめることができたということです。

 

ヒトラーオーストリアの生まれ、若い頃は美術を目指していたのですが、その当時から弁舌の力は優れたものでした。

さらに、当時のウィーン市長カール・ルエーガーは人気を集める政治家だったのですが、その一因には演説の上手さがあり、政治家としては拒否感を持ったヒトラーだったのですが、その演説力には着目していました。

やがてドイツに移り軍隊や政党などを渡り歩くのですが、その弁舌の力で周囲に認められるようになりました。

その言語学的な特徴もすでに当時から現れ、仮定表現の多さ、対比構文の多さ、といったその後も見られるものが顕著です。

 

そして、ドイツ労働者党という政党でも演説家として地位が高まっていきました。

このドイツ労働者党が、1920年に改称し「国民社会主義ドイツ労働者党」すなわちナチとなったわけです。

ヒトラーはその演説の巧みさでこの政党の指導権を我が物としました。

その後、一本道で権力に登り詰めたわけではなく紆余曲折があったのですが、それでもヒトラーの演説は力を集中させるために大きな武器となりました。

 

プロパガンダという言葉は昔からあり、さらに第1次大戦時にはドイツはほとんど利用できなかったのにイギリスやフランスが大量の宣伝を行ったと言われていますが、ヒトラーはその事実もはっきりと認識し今度は自らが主体的にプロパガンダを行っていくことを意識していたようです。

 

しかし、演説での発声法やジェスチャーはまだまだ素人の芸に過ぎず、欠点も多かったことを自覚していたのか、1932年にはプロのオペラ歌手に秘密裏に発声とジェスチャーの指導を受けています。

パウル・デヴリエントという歌手が約半年の間訓練を行ったのですが、その事実はヒトラー側としてもデヴリエント側も極秘としたので、長らく知られることはありませんでした。

デヴリエントの死後になってようやく息子が歴史学者に父の日記を見せたことで周知されました。

ヒトラーは演説が1時間を過ぎると疲労困憊していたのですが、それもデヴリエントの目から見れば当然で、姿勢から呼吸法まで変えてかなりの効果があったそうです。

 

演説が効果的であったのは、ナチスが政権を取るまでの間であり、その後は実際は熱狂的なナチ支持者以外の国民にとってはそれほど心に響くことはなかったようです。

例のニュース画像というのもヤラセか熱狂支持者のみを撮ったことで作られたもののようです。

もちろんその演説を聞かなければ投獄される危険はあったものの多くの国民は聞くふりだけをしていました。

それが当人にも感じられたのか、戦争の状況が悪化するにつれヒトラーの演説も極端に減っていきました。

 

それにしても、演説というものを重要な武器と考え、それを活かしていったというのは日本の政界では考えられない様な話です。

初期にはようやく実用化されたラウドスピーカーを演説会場に導入し、広い会場の隅々まで声が届くようにしていきました。

ラジオがまだ普及せず、放送局も政府が支配していたナチスが野党であった時代には、飛行機からスピーカーで演説をするという策も取りました。

政権につきラジオが使えるようになると国民全部に受信機を配るといったことまでやりました。

 

しかし、ヒトラーの演説すべてをデータベース化したという、著者の執念には驚きます。

それで見えてくるものも多いのでしょう。

 

ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書)

ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書)

  • 作者:高田 博行
  • 発売日: 2014/06/24
  • メディア: 新書