ネットニュースと言う分野の先駆者として活躍した著者が、2013年に書いた本です。
ネットの社会は日進月歩でちょっと古くなるとまったく現状とは違ったものになってしまいますが、これは処処にそういった面はあるものの全体としてはまだ当てはまることが書かれているようです。
著者はネットでかなり「いい思い」をさせてもらっているということですが、その眼から見ても「ネット勝ち組」というのはほんの一握りのようです。
それでも、「ネットでは誰でも発言できる」とか、「ネットで稼げる」とか言った幻想を持っている人がまだいるようです。
ツイッターでも芸能人が書けば皆がフォローしてくれますが、一般人で認められるのはほとんど無理です。
芸能人というのは「最強の個人」であるということです。
それがほんのちょっとプライベートを見せるフリをしただけで多くの人が注目します。
同じことを一般人がやってもだれも見向きもしません。
一般人の99.9%は「クリックし続ける奴隷」のような存在です。
ネットゲームの多くは、無料とうたいながらあちこちに課金のワナがしかけてあり、課金しなければあまり面白いものではありません。
ネットビジネスは以前は「課金させること」が非常に難しいものでした。
たとえ1円でも課金するためにはクレジットカード登録という大きな壁がありました。
そのため、すでに課金をした人に100円を200円に上げるというのは楽でも、まったくやっていない人に0円から1円の課金を取ることが困難でした。
ただし、一回課金をしてしまうともはや感覚が無くなって何十万も使ってしまう人が出てきて大問題となりました。
このような、大金を使う人はネットゲームの世界の中でも目立つ存在であり、自分自身の虚栄心を満足させることができました。
それが次々と金を払う理由にもなっていました。
ほとんどの人はつまらなくても無料部分だけのゲームをしているのですが、そういった人々は課金を受け入れて目立つ人の引き立て役でしかありませんでした。
ネットが使えることはもやは誰にでもできることになったのですが、今でも(2013年当時)「ネットは特別」と考えている人が居ます。
それは、過度な自己承認欲求を持つ人、「愛国者」たち、ネット界のエヴァンジェリストだそうです。
ネットに流すだけで何か特別なことをする気になってしまう。
そういった人々が引き起こす騒ぎというものはまだ後を引きそうです。
著者はフェイスブックで親しくなった人々とのリアルでの付き合いもしているのですが、人間関係はやはり顔を合わせようという気になる人だけが深くなるようで、それはツイッターのフォロワーなども含めてネット上の知り合いが何百人いてもせいぜい30人ほどだそうです。
SNSでの知り合い、いかにネット上では気が合っても、本当にその人は「自分の葬式に来てくれますか」だそうです。
この本刊行の時代からスマホ普及度がはるかに高まりました。
ますます過熱するネット社会ですが、この先どうなるのでしょう。