4.高度な読解力とは、国語教育もレベル分け
「高度な読解力」が必要な例として、哲学論と高度な心理描写を扱う小説をあげました。
他にもざっと考えただけでも、法律関係の文章、理系の学術論文(医学を含む)といったものが思いつきます。
ただし、これらは文章自体が難しいわけではなく、内容が難しいのであり、「読解力が必要な文章」というものとは少し違うように思いますので、ここでは除外します。
(と思います。もしかして、内容の少ないものを文章でごまかす例があるかもしれませんが、それも除外)
(また、「文系の学術論文」もあるかもしれませんが、これも上記同様の疑いもあり除外)
さて、こういった「高度の読解力」は、やはり日本人全員が持ち合わせなければならないとは言えないでしょう。
なにしろ、日本人の3割は簡単に書いてある文章も理解できないそうですから、ましてこのような「高度の文章」が読んで理解できるはずもありません。
「高度の英語」は日本人のごく一部にしか必要でない。というのと同じように、「高度の日本語」も日本人のごく一部にのみ必要なものでしょう。(その人数の割合ももしかしたら同程度なのかもしれません)
してみると、「英語の授業は全員に必修である必要はなく、高度の英語授業を選択で取らせれば良い」という論拠と同様に、これを「日本語」に変えても成り立つのでは。
つまり、「必修日本語」の授業はかなり程度を下げて、最低限の日本語使用ができる程度のものとし、選択日本語で程度を上げていくようにするか。
必修日本語:その辺の立て札の禁止項目が理解できること。すなわち、この辺でゴミを捨てるな、禁煙、入ってはいけません、選挙区の有権者にお金をあげてはいけません、等々。
選択日本語1:現在の中学校程度に必要とされているレベルの日本語読解力。強いて言えば新聞を読んで理解できる。
選択日本語2:理系の論文、技術関係文書等が書いて読める。
選択日本語3:文系大学院生等のレベルの文章。(ただし、”現実の大学院生”レベルではなく”理想的な大学院生”です。)
と言ったものでしょうか。
もちろん、必修日本語は小中学校義務教育で必修。
その他は中学段階から選択制とする程度で十分なのかもしれません。
大学入試レベルも、選択日本語2程度のものとすると決めればスッキリします。
そして、その選択レベルによって就職なども考慮するとすればより効果的かもしれません。
つまり、募集要項に「選択日本語3レベルの単位をとっていること」などとすれば、選択する学生も増えるでしょう。
また、外国人の日本語習得のための課程もこのレベル分けに従って実施していけば効率的と思います。
このような各段階日本語教科の授業内容とはどうなるでしょうか。
それぞれの段階ごとに漢字をある程度は教えなければならないのは、日本語の宿命ですのでそれは割り振って実施します。
現在の国語教科では、文章も小説から説明文、会話文等々さまざまな文章を取り入れているでしょうが、教科改造後では段階ごとにその傾向は変えていく必要があるでしょう。
さらに続く、かも