爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「『グローバル人材』再考 言語と教育から日本の国際化を考える」西山教行、平畑奈美編著

「国際化」を果たさなければ日本の未来はないとばかりに、教育で「グローバル人材」を作り出そうということになり、特に大学などの高等教育機関にその実現を強く迫るということになりました。

 

しかし、そもそも「グローバル人材」とは何なのかということもそれほど確固としている概念ではありません。

内閣官房長官を議長とする「グローバル人材育成推進会議」の見解によれば、

「語学力・コミュニケーション力」「主体性・積極性、チャレンジ精神、協調性、責任感」「異文化に対する理解と日本人としてのアイデンティティ」の3要素を備えた人材であるということです。

 

しかし、これらの要素と言うものの多くはこれまでも「好ましい人間像」として考えられていたものとそう違いはなく、これまで日本の教育機関が育てようとしてきた人間像とどこが違うのかはっきりとしていません。

 

そのような状況下で、何かやらざるを得ないと押し付けられた教育機関では、「英語の必修化」「英語による授業」などを行い、これでグローバル人材養成であるとしているだけのようです。

 

この本では、第1部では欧米豪の実情と比較し、日本のグローバル人材育成と称するものの実態。

第2部では、これまでも多くの「真のグローバル人材」を輩出しながら、その後を活かせずに最近では応募者も減少しているJICAの国際ボランティア・海外協力隊のなかでも、特に「日本語教師隊員」についてその現状と問題点。

第3部でグローバル化グローカル化に直面する日本の人材育成、教育政策の問題点を、それぞれの研究者が分担して書いています。

 

鈴木孝夫さんは、数々の刺激的な提言もされていますが、特に、「英語の必修」は必要ではないと主張します。

日本人の9割以上は日常で「英語」を使うことはなく、ほぼ一生の間英語を伝達手段として使う経験もほとんどないわけです。

にもかかわらず、中高での必修授業だけでなく小学校でも必修化が行われ多くの授業時間を費やしています。

その結果、本当に必要な人への必要な授業が行われず、ほとんど必要でない人の時間を奪っています。

小中高から大まで、すべてで英語は選択科目とすること、そして、選択したものについては効果的な授業を行い完全に伝達手段として使いこなせるような目標を置くこと。

つまり、「英語授業」というのは、スポーツや芸術などと同様に「ごく一部の志願者のみにスパルタ教育で取得させるもの」だということです。

 

島津拓さんは、オーストラリアのアジア語教育に詳しく、それとの対比をしています。

オーストラリアでは1980年代から日本語などアジア語の教育に力を入れてきました。

それは、それ以前の欧米重視の政策が転換しアジアを相手にしていかなければ経済が成り立たないという状況に対応するためという、あくまでも国の戦略としての教育でした。

しかし、それが本当に経済にプラスになったのかどうかは、正式には検証されておらず、効果も分かっていません。

日本も、現在の「グローバル人材育成のための英語教育」は実際にどの程度役に立つのかという見通しもなく、理論的な裏付けもありません。

単に、グローバル企業を相手に商売をするには英語ベラベラでないと、というイメージだけで動いているだけのようです。

 

国際協力機構(JICA)では、国際ボランティアや青年海外協力隊を世界各国に送り出すという事業をずっと続けています。

多くの職種があるのですが、その中に「日本語教師」というものがあります。

彼らは派遣先の現地の言語を習得し、さらに日本語の教授法研修も行って派遣され、3年間の期間現地で日本語教師を勤めます。

2014年までの累計派遣者数は1835人で、青年海外協力隊の海外派遣者の中でも3番めに多い職種となっています。

彼らは、日本語を派遣先の人々に教えるというのが直接の職務ですが、それ以上に現地の人々とコミュニケーションを取ることが必須とされ、そこで良好な関係を築くという事自体が責務と考えられています。

これは、実はそもそも本書の主題であった「グローバル人材の育成」と非常に類似したものであり、これを実践していけば「グローバル人材」はどんどんと育成できるのではないかとも言えます。

 

しかし、現実にはこういった派遣から帰ってきた人々は就職にも苦労するというのが実情です。

新卒一括採用主義の日本の大企業には、こういった人材は不要なのでしょうか。

フランスの当局者にこの話をすると、まったく理解できないようです。

このような海外交渉に最適の人材をなぜ重要職務への適任者と考えないのかと。

 

日本の教育というものは、その発端からあくまでも個人個人の「立身出世」と結びついており、現在でも「良い会社に就職するため」のものと考えられています。

そのためもあり、「自分に得になるから教育に金をかけるのも当然」という、「教育の私事化」が進められ、世界各国と比べても非常に高い教育費がかかるようになってしまいました。

グローバル人材育成も同様の観点から、英語教育などに金をかける教育機関を卒業して、給料の良いグローバル企業に就職するということが目標という、非常に矮小化したことになってしまいました。

このような教育で本当のグローバル人材などできるはずもないでしょう。

 

非常に多くの著者が、自分たちの研究成果を発表していますので、あまりまとまりはありませんが、それぞれの執筆部分では主張したいことを主張しているので、なかなか重みもある内容だったかと思います。

 

「グローバル人材」再考

「グローバル人材」再考