著者のデーブ・スペクター氏は現在でもあちこちのテレビ番組に出演し、辛口のコメントをしていますが、1972年に上智大学に留学、その後アメリカに帰国して新聞や雑誌に寄稿するという活動をし、ABC放送の番組プロデユーサーとなって再来日。
その仕事もこなしながら、日本のTV等に出演し人気を博しました。
この本は、その再来日しまもない頃に日本の様々な様相について、新潮45という雑誌に連載された文章を1987年にまとめて出版したものです。
この当時から非常に辛口の日本批判を繰り広げています。
これらの記事が書かれたのは1986年、まさにバブル経済の始まった頃でしょう。
日本の経済についての日本人の自信も極まった頃かもしれませんが、その反面、欧米文化、特にアメリカに対してのコンプレックスも高まっていたところです。
そういった日本人の心情をスペクター氏はスパッと鮮やかに突っ込み斬りつけてきます。
連載記事の表題はほとんど「◯◯大国ニッポン」となっています。
例えば、「ホテル大国ニッポン」「サービス大国ニッポン」「アメリカかぶれ大国ニッポン」
中に「天国」となっている記事が2篇だけあります。
「ガイジン天国ニッポン」「犯罪者天国ニッポン」
「犯罪者天国ニッポン」という記事は、その当時盛んに報道されていた「ロス疑惑のミウラ」についてのもので、今となっては記憶も薄れているようなものです。
スペクター氏は、そのような「殺人容疑者に過ぎないミウラ」の報道に狂奔するマスコミを揶揄しています。
「サービス大国ニッポン」という看板は今でも掲げているのかもしれませんが、その当時の「ニッポンのサービス」はあまりにもトンチンカンだと評しています。
ガソリンスタンドの店員や、タクシーの運転手など、面白くもない仕事をしているのに客に笑顔を見せるのは、アメリカでは考えられないことですが、その実、無駄なサービスが溢れて本当に必要なサービスが無いと感じています。
今ではかなり変わったかもしれませんが、この当時にはまだ日本国内に外国人というものは少なかったようです。
そのため、スペクター氏のように見るからにガイジン風に人には英会話の練習とばかりに街角や電車の中で話しかけてくる人がしょっちゅう居たそうです。
しかし、さすがに彼は簡単に英会話をしてやるような真似はせず(なにしろ、英会話教室で教えればすぐに数万円稼げますから)わざとすべて日本語で答えたそうです。
それにしても、なぜそこまで英語をしゃべりたいのか。
英語が話せたからと言って「国際人」ではなく、中身がなければ評価はされません。
中学を出ただけの寿司職人でも、アメリカに渡って寿司屋を始めればすぐに英語など話せます。というか、話せなければ商売になりません。
日本人が「英語が話せない」のは「英語力」が無いのではなく「他人に話すだけの意見や思想がないからだ」という厳しい指摘です。
そういった雰囲気の中で、他の国では使い物にならないようなチンピラが日本に来て英語をしゃべるだけでモテるということを書いているのが「ガイジン天国ニッポン」です。
日本はまだまだまともな外人がやってきて真剣勝負をするような場ではないという見立てです。
これは、現在でも変わっていないようです。