その田中さんが、ちょうど油の乗り切った時代の1980年一橋大学教授在職中にドイツに留学したのですが、その際にそこ数年の間にあちこちに発表した文章をまとめて出版したのが本書です。
「差別」という言葉が書名にも入れられていますが、それを主題とする文章もありますが、それ以外の文章も含まれています。
1970年代といえば、それまではあまり気にせずに使っていたいわゆる差別語の使用に対して問題化されるということが起きていた時代でした。
その何が問題かということすら分からないままに使ってしまった一時代前の人々が糾弾されるということもしばしばだったようです。
オランダ人記者と称するヤン・デンマンなる人物(実は日本人の偽名だったようです)が週刊誌に「ゴミ屋を警察官に」というコラムを書いたのですが、記事の内容は警察官増員を拒否した美濃部都政の批判だったものの、その「ゴミ屋」という言葉に自治労などが反応してしまいました。
これに対し、この本では「言葉」の方向から考えています。
「ゴミ屋」という言葉が問題であると報じた週刊誌などは「ゴミ集めの清掃収集員」なる用語を使って記事を書きました。
告発者の自治労は、そのパンフレットの中で「清掃労働者を”ゴミ屋”と蔑称している」と書いていますので、彼らは「清掃労働者」が適当な呼称と考えているようです。
しかし、街のおばさんが「あら、清掃労働者が来たわ。早くゴミを出さなきゃ」なんて話すはずもありません。
著者は「員」という言葉を使うのも、その字も好きではないと書いています。
「教員」というのでは校長の支配する学校の勤務者としか見えず、やはり「教師」と言ってほしい。
このような、職業を示す語尾というものは日本語には非常に豊富です。
学者、掃除夫、看護婦、代議士、交換手などのものが挙げられます。
ただし、師や士のつく場合は専門的あるいは高度な技術といった意味合いが加わります。
著者は本書出版準備のころにはドイツ留学に向かっていました。
1980年頃でも、すでに多くのトルコ人を始めとする外国人がドイツには労働者として流入していました。
彼らは「ガスト・アルバイター」とドイツ語で呼ばれてしましたが、これを日本語に訳す時は「出稼ぎ労働者」としていました。
しかし、著者が大学でなんと呼ばれたかと言うと「ガスト・プロフェッソア」でした。
これは日本語に訳せば「客員教授」となります。
「ガスト」は一緒なのに、一方では「出稼ぎ」一方は「客員」
ガストアルバイターも「客員労働者」でも良いのでは。
ただし、ドイツ語としてはどちらも一緒で、その語感は「よそもの」ということであり、それならばどちらも同じようなものでした。
その当時、国立国語研究所から「国語年鑑」という本が毎年出版されていましたが、そこからの著者への依頼で「最近の言語学の流れを書く」ということになりました。
そこに書いた記事の内容が他の言語学者の反感を買い、論争となったようです。
それに対して著者もあちこちに反論を発表し、大騒ぎとなりました。
著者の書いた中身に、柴田武氏やW.グロータース氏たちが反発したのですが、スイスの公用語と国語の問題だったようです。
学者たちの論争というのは、非常に面白いものです。
一応、最低限の礼儀は確保しておいて、的はずれなところでは相手を褒めておき、本題でけなすという?技巧が使われており、政治家や他の分野の有名人の汚い喧嘩とはかなり異なりますが、しかしその下にある敵意を見るとニヤリとせざるを得ません。
もう40年近く前のことで、田中さんはご存命ですが相手方はすでに亡くなられており、論争のことすらもやは誰も覚えていないでしょうが、その後はどうなったのか気になるところです。