条例を変えようという動きから始まった香港の情勢はますます混沌としてきました。
www.yomiuri.co.jp暴力的な抗議活動には批判も多いでしょうが、それに対抗して銃の発砲まで起こしている政府には反発も大きくなっています。
この問題の発端は下記の記事にもあるように「逃亡犯条例」で容疑者の中国本土送致を可能にする改正に始まったのですが、もちろんそれだけが問題であったはずはなく、それ以前の多くの事が積み重なってのことでしょう。
www.bbc.comイギリスから香港が中国に返還されるに際しては「一国二制度」ということが謳われました。
しかし、その当時は中国本土と比べて多いように見えた人々の自由度も徐々に締め付けられ失われていきました。
それに対する不安と不満が香港の人々の中に溜まっていたのは疑いもありません。
これから危惧されるのは、もちろん暴力的な抗議活動が収まらないことを理由としての政府の強圧的な対処でしょう。
そうなった場合に、事態が沈静化するのか逆に大きくなるのか。
香港が経済的にも大きな存在であるために、その行く末が注目されます。
ただし、「民主化」という面では複雑な様相を含んでいます。
香港はイギリス統治下でも別に「民主国家」であったわけではありません。
民主国家というものが住民の意志に基づく政府を持つとするならば、かつてのイギリス統治もまったくそれとは異なりました。
英による香港政庁の統治はただし、中国の情勢に対応して最後の最後に民主化を目指すような議会選挙の方向を目指したようです。
しかし、それが根付く前に中国返還を迎えてしまいました。
ほんの少しだけ匂いを嗅いだ民主化がさらに香港の人々の心に残っているのでしょうか。
なんとか平和的解決が図られれば良いのですが。