週刊ポストにはもう書かないとおっしゃったそうで、それが色々と言われている内田さんですが、それには一切触れずに「研究室」に文章を発表されました。
「道徳について」ということで、先ごろある出版社から依頼して書いた文章で、中高の図書館にはあるかもしれないけれど一般には流通していないそうです。
長文ですが、中身はそれほど複雑ではありません。
やはり中高生向けということを意識されたのでしょうか。
「道徳」ということで、満員の電車の中で子供を抱えて困っている女性を見た男性の話から入ってきます。
彼は自分も立っていたので、座っている中から一番若そうな学生に「代わってあげたら」と言ったそうです。
しかし、座っていた学生は疲れていたので拒絶しました。
声をかけた男性も「道徳」に従って座っている中で一番元気そうな若者に言いました。
若者も、「疲れたものは座っていて良い」という「道徳」に従って断りました。
このように、絶対的な善悪などというものは無いのが普通です。
誰にもある程度の「善」はあり、その「道徳」がぶつかり合うのが実情です。
ここで座っていた別の紳士が「私は次の駅で降りるから代わりましょう」と言って立ち上がりました。
女性は座り、初めの男性も、若者もホッとしました。
しかし、その紳士は次の駅で降りたとしても、本当はもっと先まで行くはずだったのかもしれません。
電車を降りたらそのまま出口に行くのではなく、次の電車を待っているのをさっきの人々に見られたらかえって恥ずかしく思うかもしれません。
この登場人物それぞれの「道徳」の中でも、やはり最後の紳士の「道徳」が一番高等のようです。
それは、彼の本心は知られない様な形で明らかにされたからです。
道徳的な行いで大切なことは「その気づかいが人に知られないようにする」ことです。
これは、心したいところです。
道徳的であるというのは、ひとことで言ってしまうと、「誰かが引き受けなければならない仕事があるとしたら、それは私の仕事だ」という考え方をすることです。というのが僕の意見です。
そして、
だから、世の中を住みやすく、気分のいい場所にしようと思ったら、「お先にどうぞ」とすらっと言える人の数を増やせばいい。そして、みなさんが「お先にどうぞ」と言える人になるためには幸福になればいい。簡単ですよね。
まあ、簡単なわけはないのですが。
住みやすい世の中などというものが、いつになったら来るのか。