葬式や法事などで、お坊さんが読み上げる「お経」
見たところ、ほとんどが漢字の羅列のようで、まあ意味も想像はできますがはっきりとはしません。
また、読み方は漢字の音読みで、聞いているとたいてい眠くなります。
お経の始めは、お釈迦様が周囲の人々に説いたものをまとめたもので、当時のインドの言葉で書かれたものでした。
さらに多くの内容のものが加わり、それが中国に伝わって中国語に翻訳されました。
日本にはその中国語版が伝わりました。
しかし、ほとんどの中国語版お経は日本語に訳されることはなく、そのまま漢字を音読みするだけになりました。
もちろん、お経を暗記したり読誦することは重要ですが、その中味の意味を十分に理解して実践することはさらに大切です。
仏教の修行者でも、その点の理解が不十分なことが多いそうです。
そこで、黄檗宗僧侶の服部さんが、基本的なお経として般若心経、観音経、坐禅和讃などを取り上げ、経文とその読み下し文、意味の解説をされているのがこの本です。
服部さんはこの本の原稿を書き上げたすぐ後に亡くなられたということで、出版はその後継者の方が行いました。
最初に般若心経です。
私の家の宗派が曹洞宗でしたので、葬式や法事の際には必ずこれが唱えられていました。
そのリズムは耳の奥にしっかりと残っていますが、意味などは全然考えたこともありませんでした。
「色即是空空即是色」のところだけはよく取り上げられるところですので、そこが聞き取れたら嬉しかったものです。
しかし、その内容の詳しい解説を見たら驚きのところが何か所も。
「舎利子」という句が何か所か出てきますが、これはこの教えを説く時に多くの聴衆を前にしており、その中の一人「舎利佛」さんに代表して呼びかけているのだそうです。
したがって、「舎利子よ」と呼びかけてから話を始めているということを表しています。
「色」と「空」が何度も出てきますが、「色」は物の世界、「空」は何も思わない心のことです。
この色と空とがピッタリと調和しているのが望ましい仏教的な生活であると言っています。
遠離一切顛倒夢想究暁涅槃
すべての間違った考えや夢のような考えを離れることで悟りを開くことができる。
ぎゃ諦ぎゃ諦波羅ぎゃ諦(”ぎゃ”の字が全然出てこない)
これは、最後の部分で面白い響きで覚えがあるところです。
「渡った」という意味で、「渡った、渡った、彼岸へ渡った」ということです。
このような深い意味のお経を、内容も考えずに棒読みにしていたのはもったいなかった。