戦時中の日本企業による韓国人徴用工に対する補償を求めた裁判で、韓国最高裁は請求権を認めて日本企業に支払うよう命じました。
これに対し、日本政府は韓国人の徴用等の被害者の損害賠償請求権は1965年に失われており、日韓両国で解決済みというこれまでの主張を繰り返し、猛反発しています。
私もだいたいのところは知識として知っていたものの、さすがに当時は小学生、そこまで詳しく状況が分かっていなかったので、この機会に少し基本知識を増やしておこうと思います。
(とはいえ、せいぜいウィキペディア情報に頼るのみですが)
時は1965年、東京オリンピックの翌年です。
韓国の指導者は朴正煕、(パク・チョンヒ)、1961年5月16日に、前大統領李承晩の失脚後の混乱に乗じ、軍事クーデターで政権を掌握、その後1963年に軍政を停止し民政移管と称したものの、自ら大統領となり、1期目の任期途中でした。
日本側は佐藤栄作首相、(B作が首相ならもう少しマシだったかも)
朴正煕は日本との関係改善に意欲的で、国交正常化を成し遂げます。
そこで締結されたのが、日韓基本条約であり、同時に植民地時代の韓国に対する補償として合計5億ドルを支払うという付随協約も成立しました。
日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約 - Wikipedia
日本側としてはこれを韓国人被害者の個人的補償にも当てたいという意志があったようですが、韓国政府はそれについての日本側要望も無視し、この補償金の使途についても自分たちの自由とすることとしました。
結局、韓国人被害者にはほとんど金は渡らず、政府資金としてインフラ整備等に支出されたということです。
韓国国内ではその当時もこの条約と協約締結に対しては「国辱的」として大きな反対運動も起きたのですが、大統領と言いながら実質的には独裁者であった朴正煕は反対運動を弾圧し条約締結を押し切ったようです。
その後1979年には朴正煕は大統領在職中に暗殺されました。
彼の業績は韓国の発展を進めたと言うことで、評価されることもありますが、民主化運動を弾圧したりといった独裁的手法には反発も大きいのでしょう。
このような経緯があり、植民地支配の被害者としての個人にはほとんど補償もされていないのは確かであり、これは徴用工ばかりでなく慰安婦なども同様です。
日本政府が国際法上は条約と協約で解決していると言うのも間違いではありません。
ただし、当時は韓国政府に金を渡しても被害者個人には渡らないということは、日本側も十分に認識していたはずであり、知らぬ顔はできないでしょう。
混乱の原因もそれを煽ったのも韓国国内に要因がありますが、決して日本政府も手が汚れていないとは言えないようです。
ただし、これからどうすればよいのかは、私にもほとんど見えません。