歴史学者とはいっても古代ギリシアなどが対象であった著者が、勤務の関係で中国古代文明の発掘にあたり、梅原猛氏などとともに長江周辺の遺跡発掘を行い、現在では長江文明として認められている文明の発見に寄与したと言うことは、本書でもふれられ、また他にも何冊も著書を書かれており、そちらはこれまでにも読んだことがあります。
その部分については、厳しい学会の要請にしたがって事実のみを正確に語ると言う原則の基に書かれていますが、本書はそこからはみ出して現代の世界の問題にまで踏み込んでいます。
そのためか、かなり暴走に近いものとなっているようです。
これまでの世界史で、古代文明として捉えられている四大文明、エジプトやメソポタミアなどは、畑作牧畜文明のみを扱っています。
実際にはそれ以外にも長江文明を始め多くの文明が存在しているのですが、これまでは四大文明の下流に属するヨーロッパなどの学者が主導権を取って進めてきたと言う事情から、他の文明は文明の名に値しないと言う偏見を持って見られていました。
しかし、長江文明や日本の縄文文化など、文明の要件を変えて見れば十分に文明に値するものがあるというのが著者の主張です。
ここまでは理性的な論議なのですが、ここからが少々飛んできます。
長江文明を作った人々は稲作漁撈民族と言うべき人々でした。
そしてそれは東南アジアや日本などの同様の人々に伝えられていきました。
そして、今やまとまった形で稲作漁撈民族と言えるのは、世界では日本だけとなっています。(あくまでも安田さんの意見です)
それ以外の世界の主要国はすべて畑作牧畜民族が仕切っています。
ヨーロッパはもちろん、中国も現在はその人々に牛耳られ、さらに韓国もそうなっています。
畑作牧畜民族の宗教は一神教で、(あくまでもそう言い切っているのは著者です)さらに現代では市場原理主義を信奉し推し進めています。(なぜそうつながるのか)
市場原理主義と闘えるのは、山を愛し山岳信仰を守ってきた稲作漁撈民族の日本人のみです。
といった議論を延々と書かれています。
一般向けに簡単に言い切ろうとしているのかもしれませんが、非常に乱暴な議論のように感じられます。
さらに、魚を食べると平和を愛し、肉を食べると戦闘的になるといった議論を都合よく見つけてきて(そういうふうに言い切っている人がたくさんいます)それを栄養学的に?解明してみせます。
ちょっとそれらの主張も玉石混交(だいたい石)、頭がくらくらしてきそうなものとなっています。
日本人はコメと魚を食べ、山を愛する民族であったということですが、それが今ではまったく変わってしまいました。
それでも、市場原理主義と闘えるのかどうか、疑問ですがまだ大丈夫なのでしょうか。
一つ、安田さんの視野に入っていないことがありますが、里山というのは日本でも資源の収奪場であり、すでに江戸時代末期には近畿地方や中国地方の里山はどんどんと禿山に化していったと言う事実があります。
結局、日本は単に高温多雨で森の生育力が強かったので、世界の他の地域よりは森が残っただけのことのように見えます。
というわけで、もしも青少年が読んだら悪影響が心配となるような本でした。
なお、本書はいつもの市立図書館で借りてきて読んだのですが、図書館ではこの本は「宗教」のコーナーに入れてありました。そのわけが読んで初めて分かった。