杉田水脈発言問題から、昨年の障害者施設での殺人事件の犯人の植松聖に言及する人が多いということで、内田さんが昨年書いた「愛国的リバタリアン」というものについての文章を再掲したということです。
実は、恥ずかしながら「リバタリアン」というものについて正確な知識が無かったものですから、この文章ではっきりと把握することができました。感謝。
リバタリアニズムとは、アメリカが作り出した概念で、要するに誰にも頼らずに独立して自己実現を遂げることであり、失敗者、弱者を救済するという必要はなく、「死ねば良い」という考えをするようです。
現代でもアメリカ人の相当数がその影響を受けており、トランプ大統領もかなりその傾向があるとか。
内田さんがリバタリアンについて触れたのは、現代の日本の世情で「弱者は自己責任だから死んでも良い」といったリバタリアン的な主張が度々見られるからです。
もちろん、前記の殺人事件を起こした植松も、「障害者は死んでも良い」という主張を繰り返しています。
ただし、本来のリバタリアンは「国よりも自分が大事」であり、間違っても「お国のため」などということは言わないので、その点が少し日本流に変えられているとか。
それは、「愛国的リバタリアン」とでも言うべきもので、これは「肉好きベジタリアン」とか「気前のよい吝嗇家」と同程度の表現になっています。
その矛盾をつくろうために、社会の異分子はすべて外国人かその影響下にあるものという論理を持ち出して、「生活保護の受給者のほとんどは在日コリアン」とか、「沖縄の翁長知事は中国に操られている」と口にするそうです。
そういった、おぞましい論理を振りまく人間があちこちに出没しそうです。