つい最近、同じ著者の「名作うしろ読み」を読み、面白かったのでその続編も続けて読んでみました。
「はじめに」によれば、本作ではさらに名作の範囲を広げ、海外小説や童話、時代小説まで食指を伸ばしたということです。
ただし、「推理小説の犯人を明かすほど野暮じゃない」ということで、それは書いていないようです。
しかし、あらためて感じるのは、名作の著者名、題名、書き出しの文章は覚えていても、中味や結末などはまったく知らないものだということです。
私も一応「受験秀才」の範疇に入る生徒だったので、そういった丸覚えで済む部分は記憶していたようですが、全文を読む時間も気力もなかったのでしょう。
それにしても、40年前の受験の記憶がまだ残っているのは大したものです。
(あわわ。よく考えてみると大学受験は”40年”じゃなくて”45年前”だった。会社に入ったのが40年前)
志賀直哉の「暗夜行路」、非常に有名な小説ですが、中味はまったく知りませんでした。
実は不義、不貞行為の連続、さらに妻を寝取られるという、まあ教科書には絶対に載せられないものかな。
フランダースの犬は、日本ではアニメにもなり人気の話ですが、舞台にされたベルギーではまったく不評。その地域の描写では、犬は虐待する、人には冷たい、絵を見せるにも高額の観覧料を取ると、さんざんな内容だからだそうです。
実は、この作者はイギリス人、ベルギーに悪意があったのではとの説も。
メーテルリンクの「青い鳥」、探しに出かけたチルチルとミチルが見つけられずに家に帰ってみると、青い鳥は家の中の鳥かごにいた。というのが結末と思っている人が多いでしょうが、実は隣の病気の娘に貸してあげると病気がよくなったけれど、その後鳥は逃げ出してしまう。
そして、チルチルが「いつかきっとあの鳥が入り用になるでしょうから」と語るのが最後です。
これは知っていたと思ったら、大学の時のフランス語の授業のテキストに使われていたんだった。
エラリークイーン「Xの悲劇」、「サムとブルーノは、その最後の証拠品を凝視していた」というのが結末の文章です。
さすがにその「最後の証拠品」が何かは、斎藤さんは「ないしょ」と書いています。
星新一「ボッコちゃん」、「ボッコちゃんはおやすみなさいとつぶやいて、つぎはだれが話しかけてくるかしらと、つんとした顔で待っていた」
これは知っている。読んだから。
武田百合子「犬が星見た」 この本は存在も知らなかったのですが、この紹介を見て興味を引かれました。
武田百合子さんは、作家の武田泰淳さんの奥さん、その友人の竹内好さんと一緒にソ連旅行に出かけます。
この本はほとんど全てがそのソ連旅行の旅程を淡々と綴っているだけなのですが、読んでいる人は一行とともに旅しているような気にさせられるという、穏やかな内容です。
ただし、最後の文章には驚くような事情が詰まっています。
「私だけ、いつ、どこで途中下車したのだろう」
実は、旅行終了後、この本を書いている間に泰淳さんも、竹内さんも亡くなってしまい、著者だけ残されたということです。
最後の最後に、旅行とは直接関係のない寂しさを吐き出すという、結末になっています。
いや、本というものは全部読むのも良いけれど、こういった紹介文を読むのも面白い。