かなり昔の本で、自分で買ったものでもなく、昨年亡くなった母がかなり前に購入したものを貰ってきたものです。
母は結婚するまで伊那谷のほぼ中央の実家で暮らし、同郷の父と結婚してからは東京や名古屋などで暮らしていたものの、何かあればすぐに実家や親戚の家に出かけていました。
長野県人会の活躍ぶりを拝見する機会が最近もありましたが、長野県出身者の望郷の思いは強いものがあると思います。
さて、この本は写真も数多く含まれ、旅行ガイドとしての役割も備えているようですが、主著者の布施さんの写真エッセイもかなりのボリュームを占め、さらに飯沢さんなどのエッセイも含まれるという、読み甲斐もあるものに仕上がっています。
ただし、1989年の出版でしかもその内容はさらに昔のものであり、現在の伊那谷の姿とは相当違うものと思います。
なにしろ「かくれ里」と題されているほどですが、現状の伊那谷はもはや決して「かくれ里」というには値しないほど便利な場所となってしまいました。
名古屋からは車で2時間もかからず、東京からでもそれほど遠いわけではありません。
しかし、布施さんは1889年生まれ、伊那谷を訪れた時期も相当昔のことのようで、掲載されている写真もすべてモノクロ。そこに写っている光景もはるか昔のものです。
まさに、私なども幼児の頃の記憶として残している半世紀以上前の伊那谷の光景です。
天竜川でのざざむし取り、飯田市での元結つくり(”水引細工”ではありません)、喬木村での傘張り等々、場所は同じところでも今はすでに老人の記憶の中だけにあるような風景の写真です。
後半部の、飯沢さんをはじめとして伊那谷出身の方々のエッセイも、なかなか味わい深い文章が連なっています。
その中に写真家の宮崎学さんが書かれているものに、「今から30年ほど前までは伊那谷は”陸の孤島”と呼ばれていた」とあります。
1950年代までのことでしょうか。
ちょうど母が結婚のために実家を離れ、すぐに子供が産まれた頃のことでしょう。
実家で葬儀があり、浦和の家から子供二人をつれて列車で帰省したという話は聞いたことがありますが、大変な旅行だったようです。
その頃とは比べ物にならないほど、そしてこの本出版時の1980年代と比べても伊那谷ははるかに近く、便利なところとなりました。
それで失われたものも多いのでしょうが、そこに親類知人の多いものにとっては便利で悪いことはありません。
せめて、かつての光景を思い出させるこの本のようなもので、記憶をたどるだけにしておいた方が良いようです。