本の題名から受けた印象では、地域間の交流の発達やテレビなどの影響で方言が無くなっていくことについて、論じらている本かと思ったのですが、それは巻末のごく一部のみで、ほとんどの部分はこれまでの研究の成果として、方言の全国分布図を説明するといったものでした。
まあ、かつての方言研究の結果を今一度残しておきたいということなのかもしれませんが、刻一刻変わっていってしまっている現在の状況はあまり反映はされていません。
そんなわけで、巻末の「方言の現在」というところを紹介しておきます。
日本人の大部分が、「方言はなくなりつつある」という意識を持つのではないでしょうか。
かつて、著者の学生時代の昭和30年代に、地方に方言研究の調査に出かけると、「なぜこんな言葉を調査するのか」と疑問を持たれたのですが、最近では調査に行くとお年寄りが進んで応じてくれるようになり「自分たちの言葉をぜひ後世に残してほしい」と言うそうです。
もはや、若い世代には通じなくなっているという自覚があるのでしょう。
現在では、どの地方に出かけても若干なまりの入った「地方共通語」とでも言うべき言葉が聞こえてきます。
かつては、老人の話す言葉は別の地方から来た人にはまったく通じないということがあったのですが、そういうことはなくなりました。
しかし、地方の人々が皆共通語を話しているかというとそうではなく、共通語も話せるが仲間内では方言を話すということは残っています。
ただし、その方言も、従来の伝統的なものとは異なり段々と形を変えています。
他の地域の情報も入りやすくなり、その影響で伝統的方言はどんどんと変えられていきます。
方言がこのまま無くなっていくという見方はやはり一方的なものであり、そうでもないと考えられます。
ただし、方言の機能というものは従来のものとはかなり違ってきました。
「アクセサリー化した方言」といったものになっています。
方言で「遊ぶ」ということもあります。
こういった実態は、方言研究者ほど見えていないのかもしれません。
本書の大部分を占める「方言の全国分布」から少しだけ。
言葉の指す対象が、全国どこに行っても同一とは限りません。
「もみ殻」と「糠」は、昔はどこへ行っても「ぬか」と呼んでいたそうです。
それが、いつの頃からかもみ殻の方だけ形が変わり分化しました。
「カマキリ」と「トカゲ」も、まったく違う生物ですが、かつては関東地方の一部では意味が逆転していたそうです。
方言型の「カマギッチョ」が進化した時に逆の意味に進んだとか。
方言ばかりの九州に住んでいると、「方言の衰退」などということが本当に起きるのかと思いますが、確かに初めてこちらに来た40年前と比べると現在は皆の話す言葉が違ってきたことを実感します。
まあ、徐々に変わっているのでしょう。