「見えざる手」といえば、自由市場というものを信奉し、それに任せることが自由主義経済を最もうまく動かすのだという信念のようなものだと思っていました。
まあ、かなり怪しいのではないかと疑ってもいましたが。
これは、市場に関係するすべての人が最良の選択をし、行動するということが前提となります。
しかし、どうもそうじゃないのではないかという事例が頻発しています。
「釣り(Phishing)」と「カモ(Phool)」ばかりの騙し合いが市場なんじゃないのだろうか。
この本では、そういった釣りとカモの例を嫌というほど取り上げています。
なお、そのような本ですがこの本の著者の二人はどちらもノーベル経済学賞受賞者です。
そのような経済学界の重鎮でも見逃すことができないほど、釣りと言うものが大きな存在なのでしょうか。
なお、「phish」という言葉はもちろん「fish」の綴を変えて作られたもので、魚釣りのように獲物を釣るということで、phishing(フィッシング)詐欺という言葉が使われていますが、「phool」の方はこの本で著者が作り出した造語のようです。
まだ、広く使われているというわけではないようですが、釣られるカモを意味します。
もちろん、元の単語はfoolでしょう。
カモは、自分ではそうではないと思っている人も多いかと思いますが、誰でもその要素を持っているもののようです。
住宅や自動車といった高額な買い物でもカモにされる人が居ますが、そこまで行かなくても日用品や食品などではついつい買ってしまうということは誰でもありそうです。
そういった、「なぜ利益にならない判断をしてしまうのか」というのが本書の主張でもあります。
こういった「カモ釣り」がよく見られる分野というものもあるようです。
それは、「個人の財務的な安全性に関する分野」「マクロ経済の安定性をめぐる分野」「人々の健康をめぐる分野」「政治統治の質をめぐる分野」の4つだそうです。
ちょっと抽象的な表現ですが、クリスマスプレゼントの大盤振る舞い、金融市場での投資対象、製薬業界、金をつぎ込む選挙戦といった内容です。
そういった例が嫌というほど続きますが、それが最上の経済システムと言われている自由市場の裏面です。
それで良いのか、それを正す必要があるのか、そういった点については深くは記述されていませんが、本書の新しさは「釣り均衡」という観点を打ち出したことです。
ただし、その中身については細かい記述はありません。
著者二人はすでに高齢ということで、釣り均衡と通常言われている普通の顕示選好との関係を解き明かすということはできないようです。
これは若い経済学者に任されているということですが、どういう具合に発展するのでしょうか。