爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「四コマ漫画 北斎から”萌え”まで」清水勲著

四コマ漫画といえば新聞の社会面の隅に載っていて、思わず見てしまうと言うイメージですが、その歴史は古く江戸時代にはその芽生えが見えるようです。

 

何度かのブームを起こしながら今まで続いていますが、現在でも様々に形を変えながら活躍しているようです。

 

漫画の基になる、「戯画」というものはすでに平安時代末期には出現しており、有名な鳥獣戯画という傑作が出ています。

さらにその系統では絵巻物というものの中に戯画的表現が現れていました。

信貴山縁起や伴大納言絵詞にもそのような部分が見られます。

 

西洋の分類では、漫画というものは1枚絵の「カートゥーン」と、ストーリー漫画の「コミック」に大別されるのですが、日本ではその中間とも言える数コマの短い戯画が多数見られます。

その中でも最も広く書かれたのが「四コマ漫画」です。

もちろん、その他のコマ数のものも書かれていますが、どうやら日本人のリズム感に合うのは4コマだったようです。

 

江戸時代には多くの漫画が発表されたのですが、その中でも葛飾北斎の「北斎漫画」というのは秀逸なものでした。

その中には多くの種類のコマ割りの漫画がありますが、そこに四コマ漫画の原型とも言うべきものがあり、起承転結の構造も活かした四コマ漫画の特性を表しています。

 

明治時代になり、西洋からパンチ画というものも紹介され、日本の四コマ漫画も発展を遂げました。

当時の有名作家としては、北沢楽天が「時事漫画」というシリーズを描きました。

 

大正時代に入り、新聞が四コマ漫画掲載ということを始めます。

これが現代漫画の出発点となったとも言えます。

北沢楽天に加えて岡本一平も活躍しました。

麻生豊の「のんきな父さん」は一世を風靡し、また四コマ漫画のスタイルも確立しました。

コマの運びも、タイトルも吹き出し内のセリフも方向を合わせるというものになりました。

「のんきな父さん」の第1回で、報知新聞夕刊の紙面左上の現在まで続く四コマ漫画の定位置を獲得、新聞でのスタイルを決めました。

 

昭和に入り戦前の時期が「第1次新聞四コマ漫画ブーム」ともいうべきものでした。

のらくろ」「フクチャン」という、今でも有名な作品群が次々と新聞紙面を飾りました。

 

戦争が終わると、「第2次ブーム」が起きます。

そこには最高傑作というべき「サザエさん」が登場しました。

他にも「轟先生」「クリちゃん」といった見覚えのあるものが連載されます。

ただし、「サザエさん」以外は単行本となって発売されることがほとんどなかったために、新聞紙上のみの記憶にとどまりその後は忘れられてしまいます。

 

昭和30・40年代になると、漫画の主人公にサラリーマンが登場するという傾向が生まれました。

フジ三太郎」「サンワリ君」といった漫画がサトウサンペイ鈴木義司らにより描かれ、それまでの子供が主人公では描けなかった話題にも触れるようになります。

 

さらに昭和50年代以降には新聞にとどまらず雑誌などに掲載される漫画も増え、そこでは新聞では避けられていた話題(大人向け)も触れられ、一気に範囲が広がりました。

いしいひさいち植田まさし園山俊二などの才能が開花します。

 

最近では「らき☆すた」といった萌え四コマと言われるものまで出現、さらに発展を続けています。

 

四コマ漫画はその進化の過程で新聞などと密接な関係があったために、時代の世相・風俗・事件などの「時代の空気」というものを深く取り入れています。

そこに四コマ漫画の面白さ、価値もありそうです。

 

四コマ漫画―北斎から「萌え」まで (岩波新書)

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