かつては日本語の模範とまで思われていたテレビで話される言葉が、最近では乱れていると感じます。
NHKでアナウンサーとして活動し、その後は後進アナウンサーの話し方指導も担当されたという著者が、その推移を語ります。
東日本大震災の起きた2011年3月11日、テレビもその番組を完全に切り替え報道一色となりました。
その時にはすでに一線から退いていた著者は、テレビ報道を見ていて非常に気になることがありました。
それは「ご覧いただく」という言葉が連発されたことだそうです。
「ご覧いただいているのは何々港の現在の様子です」「津波が押し寄せた瞬間の画像をご覧いただきましょう」
スタジオにはもう危害は及ばないという感覚が漏れてくるような言葉でした。
また、震災後1週間ほど経つと報道だけでなく震災を振り返るドキュメント番組も増えてきたのですが、そこでは冷静な報道の「ですます調」からセンセーショナルで刺激的な「である調」へ変わってきます。
まるで「!」や「!!」を付けたいという気持ちが表れるような体言止めも多用されるようになりました。
そしてその後結局は元通りの賑やかな話し方に戻ってしまいました。
テレビなどの放送で使われる言葉は、誰にでも通じるように「共通語」というもので作られます。
また聞く人に不快感を与えることがないように検討されています。
新人のアナウンサーはそういった言葉の使い方というものを念入りに訓練されてから場面に登場することになります。(のはずです)
また、正しいだけでは不十分であり限られた時間内にできるだけ内容を正確に伝えるということが求められており、そのための技術というものも身につけています。(のはずです)
しかし、時代の流れによりテレビ放送での話し方も徐々に変わってきました。
話す速度を著者が測定したことがありました。
映像の残っていた1964年の今福祝アナウンサーのニュースを計測すると、字数にして毎分320字だったそうですが、1980年の森本毅郎アナウンサーが401字、1992年の民放の久米宏キャスターは561字だったそうです。
また、トーク番組やバラエティー番組では話す速度が速い上にのべつ幕なしに「間」を取らずにしゃべり続けています。
さらに、言葉と言葉の間には効果音も入れ、常に音が続いている状況です。
最初は視覚障害者のために始まった、「字幕」もその目的を変え刺激的な文字が常に使われるようになってしまいました。
映像も字幕もこれ以上に望めないほどに詰め込んだメディアになってしまったようです。
テレビの初期には、アナウンサーが一人で原稿を「読む」のがニュースでした。
しかし、その後ニュース番組がワイドショーと変化すると、その主人公も「キャスター」となり、キャスターが「語りかける」形になっていきます。
そもそも、キャスターという言葉は「ニュース」と「ブロードキャスト」を合成した「ニュースキャスター」という言葉からできたものです。
キャスターには高度の「ニュース感覚」が必要であり、放送である限り的確な言葉を使う能力が必要です。
そのため、以前の経歴を見てもアナウンサーだけでなく記者出身者も見られました。
女性キャスターも数々の人々が表れ、躍進していきました。
大災害の時の報道はテレビの番組制作側から見ても緊急事態であり、総力をあげての放送が作られますが、ときおり不用意な言葉が使われてしまってひんしゅくを買うということもよくあるようです。
阪神淡路大震災の報道では、ヘリコプターからの中継で「高速道路が ”見事に”倒れています」とか、「煙の上がる神戸の町は ”温泉のようです”」なんとやっていまったこともあったようです。
NHKも現場の職員に注意喚起の必要から、「不適切な表現一覧」を作って配布したそうです。
テレビの言葉は日本語の規範であるべきという考え方もあります。
イギリスのBBCではそのような姿勢で言葉を選んでいるそうです。
しかし、日本の現状ではテレビの放送が日本語のお手本だと言えるような番組はありません。
日本語を学ぶ外国人にテレビのあの番組を見ろと言える状況ではありません。
せめてニュースと情報番組はそのような日本語を使ってほしいというのが著者の願いでした。