爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ペストの歴史」宮崎揚広著

人類の歴史には疫病による大きな災害が何度も起きていますが、中でもペストによるものはその死亡率の高さでも、中世ヨーロッパの社会に与えた影響でも、最も厳しいものだったと言えるでしょう。

 

この本は近世フランス史がご専門の歴史学者の宮崎さんが、主にヨーロッパでのペスト流行を詳しく記述されたものです。

 

ペストは幸いにも日本では大流行というものは発生していませんが、ヨーロッパから西アジアでは歴史上3回の大流行がありました。

最初は西暦541年にエチオピアアラビア半島に発し、地中海沿岸地域からヨーロッパ内部まで流行し、767年まで断続的に続きました。

2回目は1340年代から1840年代まで実に500年にわたって流行が繰り返されたもので、特にその始めの頃のヨーロッパにおける流行では人口の数割が死亡しました。(数値については地域と報告により大差あり)

3回目は1860年代から1950年代まで、中国南部に発してインドからアフリカ、オーストラリアなどに広がりアメリカ西海岸にまでたどり着きました。

 

これに見られるように、現代でもまだ完全にペストの危険性が去ったとは言えない状況です。

抗生物質を適切に投与すれば広がることを抑えることはできますが、根絶するには程遠いようです。

 

本書では冒頭にローマ帝国時代の流行も描かれているものの、最も力点を置かれているのは1347年から始まった「黒死病」のヨーロッパにおける流行です。

ペストの流行は何度も起きているものの、それを「黒死病」と呼ぶのはこの時期のものだけということです。

この時期にはすでに様々な文書記録が残されており、疫病の流行とその症状の記述もかなり克明になされているために、その疫病がペストであることは容易に判定できます。

 

中央アジアで流行が始まったと見られるこの大流行は、ヨーロッパには1347年6月に侵入しました。コンスタンチノープルで爆発的流行が始まりました。

そしてそれは交易船の移動に乗り、ヨーロッパ全土に広がっていくことになります。

最初に大流行となったイタリアでは、各地で死者の割合が半数以上となるような地域が多く、全滅に近い場所もあったようです。

一方、ほとんど流行しなかった地域もあり、ポーランドや東ヨーロッパ、スコットランド北部、スカンジナビアには届かなかったようです。

ベストの犠牲者割合は正確にはつかむことはできませんが、ヨーロッパ全体としては3割程度の人が死亡したようです。

 

多い地域では半数以上の人が亡くなるという事態ですので、社会そのものが崩壊してしまったところもありました。

そこまでは行かなくとも、中世の社会というものを大きく揺り動かしたのがこのペスト大流行でした。

人々は中世の長い間に培ってきた生活習慣を失い、社会のつながりというものも無くしました。

家族の絆や社会的結合、対人関係というものも大きな影響を受けました。

それまでは厳粛に行ってきた葬送儀礼も放棄され、葬式すら行われずに死者を穴に放り込むということになり、人々の宗教観、道徳観も大きく変化することになりました。

流行地からの逃亡ということも多くなり、そこの社会は死亡者が少なくても崩壊しました。

 

さらに、その原因が分からなかったためにユダヤ人などの迫害ということも起きています。

黒死病発生の地でユダヤ人虐殺ということが多数発生しました。

 

また、このような疫病は神の怒りであるとして、自らを鞭打って回る「鞭打ち苦行」ということを集団で行うことも広がります。

 

このような急激な人口減少はそれまでの経済体制というものも激変させました。

農村は放棄され、逃走した農民たちは都市部に流れ込みます。そういった人々の住むスラムは再び疫病の流行の舞台にもなります。

 

それでも、ペストの病原菌発見というのは近世に入ってからではあるものの、様々な経験から不衛生な環境というものが流行の原因であるということは判明し、都市の環境衛生というものを考えるようになってきます。

イタリアでは各都市に衛生担当者が置かれるようになり、日頃からの衛生状況の向上、また疫病発生時の患者隔離や移動制限、病気発生箇所の燻蒸殺菌などといった対策が実施されるようになります。

検疫という制度ができたのもこのためでした。入港する船舶は一定期間留置し大丈夫と分かってから上陸させるものです。

 

その点、イギリスやフランスの対応は遅れていたようで、17世紀になってもロンドンやトールーズなどで大流行というものが起きています。

 

ペストという病気がこの先も大流行するということはもう無いかもしれませんが、他の感染症が同じような流行を起こすことは無いとは言えません。

人口の3割以上が死亡するというような事態がどのようなものか、想像するだけでも恐ろしいことですが、現在の検疫制度というものもかつての大災害の記憶からできています。

万全の対策をしたいものです。

 

ペストの歴史

ペストの歴史