爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

世代間倫理というものについて

近頃考える事の多い、「世代間倫理」について、思考の跡を記しておきます。

 

世代間倫理のようなことは、自分で独自に考えてはいたのですが、本で読んだというのは加藤尚武さんの「環境倫理学のすすめ」というものでした。

sohujojo.hatenablog.com

その中では、環境倫理の中の重要な構成要素として世代間倫理というものが紹介されていました。

 

しかし、考えてみれば環境に限った話ではなくどんなことでも数十年以上に及ぶものは大体「世代」に関係してくるはずです。

おそらく、30年程度を越えたものはほとんど自分の世代だけでは完結することはできず次の世代に任せるしか無いのではないでしょうか。

 

そういったものは、環境に関するものでも「公害による環境汚染」「二酸化炭素濃度上昇による温暖化」「石油など化石燃料の枯渇」といったものが挙げられるでしょう。

 

さらに、「原発廃炉」なんていうこともとても1世代だけでは完結不可能です。

現在の操業中の原発で、計画的に実施できる場合でも最終的に撤去できるまでは30年以上、福島原発のように事故で破壊されたものはそれよりはるかに長い時間が必要になります。

当然ながら現在の現役の担当者はその時にはすでに引退どころか生きているかも分かりません。

 

環境に関係ないところでは、「日本国の財政再建」です。

1000兆をはるかに越える国債などの借り入れはたとえ1年あたり10兆円を返したとしても100年以上かかるわけです。

子供や孫どころではなく、その下の代まで行っても返しきれません。

それが今はまだ返し始めるまでにも至っていないのですから、もう国の破産を待っているとしか言いようがありません。

 

世代間倫理のほとんどは悪い話ばかりですが、かつて聞いたことのある「山林の管理」は少し良い話かもしれません。

以前の「山持ち」つまり山林の所有者は販売のために木を伐採すると必ずそこには新たに苗木を植えました。

その苗木が大きくなって立派な木になり売れるようになるのは、植えた人の子供か孫の代になってからです。

これはまさに世代を超え継続する林業というものの形だったのです。

 

さて、それでは「世代間倫理」に関して最も私が考えることの多い「化石燃料の使用」についてです。

石油や天然ガスといった化石燃料は数億年前の浅い海に大量に繁茂していた藻類が太陽エネルギーを光合成によって変換して作り出した炭化水素が、地殻変動で地中に埋められて濃縮しできたものです。

その量は、原油換算で2兆バレルとも6兆バレルとも言われていますが、それは人間の欲望をどこまでも叶えてくれる量ではありません。

すでに原油1兆バレルを使い果たしたと言われています。

それも本格的に使いだしてからは100年も経たない内にです。

地球が数億年をかけて作り出したものを、わずか数世代の人類が使い果たす。人類だけが使って良いのかどうかも問題ですが、人類の中の話としても数世代あとの人類はもう使えるだけの石油が残っていないことになります。

これが「世代を超えた倫理」につながります。

我々の世代だけが勝手気ままに使い切って良いものなのかどうか。それもちょっと生活を便利にとか、景気を良くして金儲けできるようにとかいった理由で。

 

私はそんなことは許されないと思います。

 

ではどうするべきなのか。

この「するべき」というのが「倫理学」特有の考え方と思います。

「どうした方が徳か」とか、「どうしたら面白いか」ではなく、「するべき」を言うためには何らかの基準が無ければ語ることができません。

この基準というものが、この場合は「世代をずっとつなげていく」ということだと思います。

 

最近は「持続的」という言葉を聞くことが増えました。

やはり「子々孫々までつなげていく」ということを意識する人も増えたのでしょう。

中には「持続的成長」などという勘違いをしている人もいますが。

 

子々孫々の生活や社会というものを想像してみる。そこから振り返って現在の社会のあり方を見直してみる。そういったものが「世代間倫理」であるとすれば、それは難しいことではなく、丁寧な想像力を使っていくことだと思います。