ひと頃の勢いはなくなったようですが、それでも町のあちこちに壮大な店舗を構え、朝10時ともなればそれだけが生きがいのような連中が開店に押しかける風景が見られるパチンコですが、あまりきちんとした歴史記述がされたことは無かったと思います。
この本は、パチンコに憧れ大学卒業後にパチンコ業界に就職、釘師となったもののその後将来を考えて著述業に転進したという著者が、極めて真面目にパチンコ業界というものの歴史を記したものです。
パチンコは原始的な形態のものはヨーロッパでルネサンス期から表れていたようですが、現代の形態につながるものは日本では大正末から昭和初期にかけてドイツやアメリカから機械が輸入されたようです。
爆発的に広まったのは終戦後からでした。
ただし、その当時のパチンコ台は「ベタ釘台」と呼ばれるもので、盤面一杯にまんべんなく釘が配列され、玉の動きもバラバラに盤面全体を跳ね回るといったもののようです。
しかし、1948年に正村竹一により開発された「正村ゲージ」と呼ばれる釘構成でその風景は一変しました。
「天釘」「谷釘」「山釘」「ハカマ」「風車」を配し、玉の通り道をきれいに配置するというもので、この思想は現在のパチンコ台まで継承されているものです。
また、これには入った時の出玉「賞球」をそれまでの2個、3個といったものから一気に10個、20個と増やしたという属性も付与され、それまでの子供の遊びから大人の遊びへと変わっていったきっかけともなりました。
1952年になると、上皿から発射できる連発式が開発されました。
しかし、これは射幸性が強いということで警察の取締が厳しくなるきっかけともなってしまいました。
パチンコ台には穴が空いているだけの入賞口だけでなく、チューリップなどの「役物」というものがあります。
警察取締が強まり大きな打撃を受けたパチンコ業界の苦境を救ったのが、1960年に発表された「チューリップ」でした。
1個の玉が入ることでチューリップが開き、次の入賞もほぼ確実にされるということで、画期的な発明と言われました。
その後、「インベーダーゲーム」の大流行でパチンコ業界はまたも苦境に立たされるのですが、それに対して開発されたのが「電動式役物」と呼ばれるもので、「フィーバー」というのが代表的なものでした。
私も学生時代から就職しても独身の頃まではパチンコ屋に行っていたこともありました。
まだ電動式も無くチューリップが何個かある程度のものでしたが、暇つぶしには最適でした。
その後はほとんどやらなくなりましたが、このような歴史があったのかと今更ながら驚きます。