爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「土壌汚染 フクシマの放射性物質のゆくえ」中西友子著

2011年3月の東日本大震災で起きた福島第一原発の事故による、放射性物質の放出は大きな社会問題を引き起こしました。

本書著者の中西さんをはじめとする、東京大学農学部の人々は総力をあげてその状況の調査研究を繰り広げました。

農学部には、土壌、各種農産物(コメ、果樹、野菜等々)、森林、畜産、水産等の多くの専門家が居り、トータルで放射性物質による放射線汚染の状況を調べることができました。

 

事故発生から2年あまりの調査研究を経て、かなり多くの判明した事実があると同時に、未解明の部分もあるのですが、2013年の時点での知り得た事実をまとめて出版されたのが本書です。

そこでは、未だ完全ではないながらも相当な知見が得られています。

単純に農産物に放射性物質が移行するなどという事実はほとんどありえないということも分かってきています。(起きるという事例もあります)

この本が出てからすでに4年以上が経っているにも関わらず、未だに福島県農産物に対する危険意識があるということは実に情けない話です。

 

まず、ここで取り上げられている放射性物質はほぼ放射性セシウムに限られます。

事故発生当初は放射性ヨウ素なども放出されましたが、崩壊速度の速いものは瞬く間に消えてしまい、半減期の長い放射性セシウムのみを考えれば良いという状況になっています。

また、放出当初は様々な植物体や動物に直接放射性物質が付着するという事態も起きたのですが、しばらく時間が経過した後はセシウムの物理化学的特性から、ほとんど「土壌に吸着」されています。

この事実をしっかりと認識しなければ判断の間違いも起きてしまうでしょう。

 

しかし、「土壌」というものについての認識自体、あまり広く確実に行き渡っているとは言えない状況です。

土壌は田畑など農耕地に大量に存在するかのように思われているかもしれませんが、実は通常の田畑でもその表面の15cmから20cmの深さに存在するだけです。

これは世界のどこの農地でも同様であり、全世界の農業はこの極めて薄い土壌に依存しているとも言えるものです。

 

放射性セシウムというものは、その特性からこの極めて薄い「土壌」に強く吸着しています。(放射性でなくても、セシウムというものはそういうものです)

そして、植物がそこに育ってもセシウムを吸収するということがほとんど起きません。

つまり、若干の放射性セシウムが農地にあったとしてもそこで栽培した植物に移行することは起きないということです。

 

また、土壌というものは農地としてきちんと使えるようになるまでに非常に長い時間を必要とします。

したがって、土壌の放射性物質汚染があるからと言って、簡単に土壌ごと除去して除染などと言われても農家は困惑するわけです。

そこからまた土壌を農業用に再生するためにはとんでもなく長い期間が必要となります。

 

なお、そうは言っても福島県産のコメで非常に高い放射線が検出されたことがありました。

この事例の特殊性も徐々に明らかになっています。

この水田は、山林のすぐ下にありそこからの水分で栽培されていたのですが、山林土壌に吸着された放射性セシウムが、土壌ごと懸濁されたような液となり水田で栽培されているイネに供給されました。

どうやら、この「懸濁液状態の水分」はそれごと吸収するという性質がイネには備わっているようです。そのために、放射性セシウムを吸着した土壌がそのままイネに吸収されたということです。

このような事例はごく稀ですので、それ以降のコメには放射能は検出されないのも当然のことです。

 

以前に大きな問題となった、重金属汚染というものは(水銀やカドミウム)生物濃縮ということが起こり、食物連鎖の上位の人間などに大きな影響を及ぼしました。

放射性セシウムの場合もこのようなことが起きるのではないかという危険性を持つのではないかと怖れられましたが、セシウムの場合は生物による体内での貯蔵というものは起きません。

代謝により排出されるために、放射性セシウムが仮に体内に取り入れられたとしても徐々に抜けていくようです。

それが分からなかった初期に、家畜で体内に放射性物質を取り込んだものは屠殺され埋められたことがありました。実に可哀相な話でそのまま放射性物質を含まない餌をやっていれば徐々に減少していったはずでした。

 

山林の汚染物質というものは除染もできないために問題だということも言われましたが、山林においてもセシウムの土壌吸着というものは非常に強固であり、そこから雨水により流れ出すということも起きていないようです。

ただし、キノコへのセシウム吸収ということは起こり得ることであり、実はカリウムの高度吸収ということを起こす種がありカリウムと同様の挙動を示すセシウムも取り込んでしまうようです。

しかし、このセシウム高濃度含有キノコというものは、実はこれまでの核実験によるセシウムも吸収しており、フクシマ由来とは言えないものもあるとか。

 

福島の放射性物質汚染状況というものをトータルで見直すことができるもので、農学という学問の底力を感じさせてくれるものでした。私も農学部出身ですので嬉しい限りです。

 

土壌汚染 フクシマの放射性物質のゆくえ (NHKブックス)

土壌汚染 フクシマの放射性物質のゆくえ (NHKブックス)