爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「サラダの歴史」ジュディス・ウェインラウブ著

サラダは現在では全世界に広まっており、健康的なイメージ(中身とドレッシングによればかなりな高カロリーにもなりますが)で好感をもって見られているようです。

 

しかし、かつては生で野菜を食べるというのは逆に健康に悪いというように思われていた時代もありました。

サラダというものがどのような歴史をたどってきたのか、料理関係の本で何度か受賞をしている著者が多くの文献などを調査してまとめました。

 

これまでの世界では、ほとんどの場所で野菜を生で食べるということは行われてはいませんでした。

しかし、唯一といえるのが古代ローマで「レタス」を生で食べていたと言う習慣でした。

ただし、現代のレタス(一般的なのは玉レタス)とは大きく異なり、ロメインレタスという種に近い形態をしており、今のものよりはかなり苦かったようです。

そのレタスを他の野菜と混ぜることもなく、一種のみに塩気の強いソース、現在のドレッシングの祖先をかけて食べていたということです。

 

古代ローマ滅亡の後は、サラダを食べる習慣も失われていたようです。

しかし、16世紀のルネサンス期にはサラダもようやく食卓に戻りつつありまっした。

場所もやはりイタリアから始まったようです。

ただし、それを食べるのは上流階級に限られており、贅沢な食卓の見栄えを上げるという意味が強かったようです。

 

使われる野菜もレタスの他にミント、フェンネル、パセリといったハーブ類、他の野菜類なども入るようになりました。

ただし、ドレッシングは塩と油、酢を混ぜただけのものでした。

 

17世紀になると先進地域のイタリアの風習がイギリスやフランスにも広まってきます。

その組み合わせも手の込んだものが見られるようになってきます。

各種の野菜に肉や魚も入るものが出てきました。

 

そのような、「グラントサラダ」という、多種の材料を使いそれだけで一回の食事にもなるような料理がイギリスの上流階級には流行してきます。

ただし、階級を問わずに通常の食事として食べるシンプルなサラダも普及してきます。

 

しかし、サラダが大きく発展し料理として確固たる地位を築いたのはアメリカでのことでした。

19世紀の半ばを過ぎるとサラダを述べた料理本も盛んに発行されるというように、サラダがすでに料理の中で大きな位置を占めるまでになってきました。

 

サラダのドレッシングには、古代ローマの時代から塩・油・酢が使われており、その伝統は長い間続いていました。

そのドレッシングは現在でも使われていますが、それ以外にアメリカで多くの種類のドレッシングが開発されてきました。

伝統的なフレンチドレッシングタイプのものの他に、クリームタイプのもの、マヨネーズタイプのものです。

マヨネーズを大々的に売り出したのは、1912年のリチャード・ヘルマンによるものですが、これ以降、サラダのドレッシングが劇的に変わることになります。

 

アメリカの文明拡大により世界各地にサラダというものも広がっており、その土地独自のサラダというものが生まれています。

日本のサラダとして紹介されていたのは、海藻などの食材を使い味噌や醤油のドレッシングを使ったものでした。

 

中世以前のイメージとまったく逆になり、サラダは健康的と感じられるようになりました。今後もますますいろいろな形に変化しながら栄えていくことでしょう。

 

サラダの歴史 (「食」の図書館)

サラダの歴史 (「食」の図書館)