日本史を見ていると数字というものが目につくという、導入から入ります。
年号はもちろんですが、その他にも江戸の三大改革とか、憲法十七条とか、さらに三管領四職やら六分一殿やら。
そういった、「誰でも知っている語句だけどなぜそんなふうに数字を付けて呼ばれるのか」という疑問に解説していこうということです。
ただし、全部がそういった方向性で統一されているかというとそれほどでもなく、若干は単に著者の河合さんが書きたいから書いたというエピソードもあったようです。
☆かつて、十三湊(とさみなと)と呼ばれた大貿易港が青森にあった。
これは、詳しくは知りませんでした。鎌倉時代から室町時代にかけて、蝦夷管領に任ぜられた安藤氏の本拠地で、蝦夷から朝鮮までの貿易をしていたそうです。
しかしその後徐々に砂が堆積し、明治以降は完全に繁栄を失いました。
☆四国八十八ヶ所巡礼はいつ始まったか。
もちろん、弘法大師の事績の伝説が伝えられており、巡礼も室町時代から行われているのですが、八十八ヶ所と言う場所と順番が決まったのは江戸時代でも中期の正徳年間だそうです。それ以前には94箇所が紹介されているものもあったとか。
☆六分一殿とうたわれた山名一族の盛衰
室町時代、南北朝の争乱が収まったあと急速に力を付けていった守護大名の中でも一族で11カ国の守護職を有した山名一族は「六分一殿」つまり、全国に六分の一を手中にしたのでした。
しかし、山名時義が没した時を好機とし、足利義満が一気にその勢力を駆逐したのでした。
まあ、いろいろな歴史の知識を取り入れることはできました。