今ちょうど「森を食べる植物」という本を読んでいまして、(読み終えたら書評を書きますが)そこでは、葉緑体を失った”腐生植物”というものを扱っていました。
これは、自ら葉緑体で光合成を行うという働きを放棄して、森のなかでカビやキノコの菌糸を栄養源として生きていく道を選択した図々しい?植物です。
もはや葉も失っていますので、花が咲いていない時には茎が伸びているだけであり、ほとんど見ても分からないために未だに知られていない新種も数多く存在するかもと言われているそうです。
まあ、この腐生植物は周囲に十分な量の栄養源としての菌類などがあったためにそういった方向に進化していったのですが、ここで「もしも光合成を行う葉緑体というものが無かったら」と考えてしまいました。
地球の生命の歴史を考えると、最初の有機物は放電などのショックで出来上がってきたのでしょうが、そのうちにDNAなどの遺伝子となる物質ができ、そこから生命と言えるものが発達してきたと考えられます。
生命というものの条件は、自らの遺伝子を再生し生命をつないでいくこと、そして代謝を行ない周囲の物質を取り入れて自分の身体を維持することが挙げられます。
ここに、葉緑体による光合成と言うシステムが生まれたことにより、非常に効率的な有機物合成の過程が関与できることになりました。
また、光合成により二酸化炭素を使って有機物を作るのと同時に酸素を大量に生成することになり、地球環境中の酸素量を大幅に増加させ、その後の生命の環境を大きく改変してしまいました。
葉緑体は最初はシアノバクテリアの一種であったようですが、その後真核細胞に取り込まれて細胞内の組織となり藻類や植物として進化しました。
もしも、「葉緑体が無かったら」
あまり、このような「IF」を考えても意味が無いかもしれませんが、(有機物の生命体としては必然のことかもしれませんし)そうなればもしも生命というものが誕生していても、そのエネルギー取得のシステムは地熱からくる熱水や空気中の放電などだけだったかもしれません。
そうであれば、とても進化などというダイナミックなことはできなかったでしょう。
もちろん、酸素に満ちた大気環境というものもできなかったでしょう。
原始地球のままであったということです。
有機物から遺伝子物質への展開というものは確かに地球の生命にとって大きな出来事だったのですが、それと同じくらいに葉緑体の誕生というものも偉大な出来事だったのだなと、(理解できている人には常識かもしれませんが)改めて気付かされました。
だからどうなんだと言わないでください。
この年になっても気付くということは新鮮な驚きです。