格差や不平等といった問題については、多くの人々の関心を呼び特に経済学や社会学の研究者たちが数々の意見を発表していますが、この本では心理学の立場から格差や平等といった問題を人々がどのように認識し、その背後にはどのような心理が隠れているかということを分析していきます。
人々の間に格差があるということは、社会的に支配する層、支配される層があるということを当然と認めるかどうかという心理が関わってきます。
こういった、「社会的支配志向性」の強い人々ほど、対外的に強硬ではないかと考えられますが、911テロのあとの意識調査では、アメリカなど西欧各国ではその傾向が強いものの、中東諸国では逆となり、社会的支配志向性の弱い人々ほどテロリズム支持の傾向が強かったそうです。
また、今の格差を作り上げてしまったシステムというものが存在するはずなのですが、そのシステムを正当化する心理状態というものがあるようです。
現行のシステムで不利益を受けている人々、アメリカで言えば貧困層黒人などでは、それが自分の能力のせいではない、つまりシステムのためだとして、システムを正当化してしまう心理状態になってしまうようです。
格差が広がってしまう時には、それぞれの集団ごとに動いていくことになるために、集団への帰属意識というものが強まるそうです。
つまり、名門大学出身者集団であるとか、高卒労働者集団であるとか言った集団に属するという心理が強まるのですが、そうなるとそれぞれの集団、そして自分以外の集団といったものに対する認識がステレオタイプ化し、「高卒で働く連中はこんなもの」といった固定概念ができてくるようです。
自身の社会的アイデンティティというものを心理的に守るためにもそういった動きが強まるのでしょう。
日本では長らく平等神話というものがあったと感じられていましたが、規制緩和から競争原理の強化という流れの中で格差拡大が認識されるようになりました。
しかし、経済成長時代であっても格差は歴然として存在していたと考るのが当然であり、そこから見直していく必要がありそうです。
学歴社会というものが強力に作用していたのが日本であるというのは間違いないところで、東大京大などのエリート大学、それ以外の大学、高卒者、それ以下といった具合に分化されていました。
この辺の議論には以前に本を読んだ橘木俊詔さんの論が引用されています。
さらに、その後の展開として、吉川徹さんの「学歴分断社会」も引用されています。
これらの議論を集約する形で、本書では次のように要約されています。
日本では「学歴」が重要な位置を占めていたが、総中流社会の時には学歴による経済格差は小さかった。しかし現在は学歴が経済格差を拡大する社会になってきた。
また学歴の子供への継承ということが固定化し、階層の固定化につながっている。
あとがきにあるように、格差問題は多くの議論がなされていますが、その心理的背景を論じたものはあまりないようです。
これを深く洞察して人間性に基づいた政策論議が必要であろうと結んでいます。