爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「歴史の嘘と真実」井沢元彦著

「逆説の日本史」のシリーズや歴史ミステリー小説といった著書を多数出版している著者ですが、元々は歴史学者というわけではなくテレビ局の記者だったそうです。

この本は著者があちこちに発表していた随想などを15年分まとめて一冊にし、平成9年に出版したということですので、かなり若い頃からの文章ということです。

ただし、出典等はまったく明記されていませんので著者の思想の変遷といったものをうかがい知ることはできません。すべてがその時の考えと変わっていないという自信があるのでしょうか。

私は絶対にそのようなことはできませんが、(考えがコロコロと変わってしまいます)一貫しているということでしょう。ただし、20年前の話ですから現在でもそうなのかどうかは知りません。

 

 

「歴史の」とは題していますが、歴史だけに限らずあれこれ書かれています。

例えば、「日本人論」に属する話もけっこう出てきます。

例えば、「日本人は礼儀のための嘘は許す」とか、「日本人は”愛”よりも”和”を重視する」とか。

まあ分かりやすい書き方で、こうでなければ人気作家にはなれないんでしょう。

ここで、決して「一概には言えない」だとか「そうは言っても違う例が多い」なんてことを考えてはいけません。

 

「歴史」に関しては、「なぜ帝には姓がないのか」という問題を取り上げています。

しかし、自分で研究するわけではなく、「詳しい研究があるかどうかも知らない」と片付けられています。

この点には私も興味はあるのですが、せめて研究結果があるかどうかは調べてから書いて欲しかった。

 

歴史学者は証拠のあるものしか主張できないので、推理作家のほうが自由に考えられると自画自賛をしています。

確かに、証拠のないものを推論だけで組み立てるということは学者のできることではなく、それにこだわる限りなかなか話が進まないのでしょうが、かと言って推論だけでイメージを作っても素人はそれに囚われてしまうでしょうね。

 

戦国期から江戸時代にかけて、日本の多くの地域を支配したのは「名古屋出身者」であったというのは面白い指摘です。

信長、秀吉は言うまでもなく、加藤清正前田利家といった人々も信長の家来から全国に広がっていきました。

加藤清正は熊本では尊敬を集めていますが、彼が名古屋出身であるということは当地ではほとんど意識されていません。前田利家の金沢でも同じようなものでしょう。

これが九州出身者のグループが全国席巻ということであれば皆それを意識したかもしれません。

しかし、名古屋出身ということはそれを現地の人に意識させずに済むという特質があるのかもしれないということです。

それは著者の意見では「商人としての性質」だそうです。商人はどこに行っても自分の出身地などは出さずに現地に合わせて商売をします。名古屋人はその性質を持っているのでどこでも溶け込めるのではないかという意見です。

 

そういうこともあるのかなと言ったものですが、確かに明治期の長州・薩摩の全国制覇では反発も引き起こしていますからその面もあると言えるかもしれません。