邪馬台国がどこにあったかということは昔から論争の種でしたが、ここぞその地という説が何十もあるという状態です。
この本はそのうち代表的な50の地域についてその地域を邪馬台国と提唱している人の名前、遺跡などの写真、地図、アクセス等の情報を簡潔にまとめています。
一箇所あたりの記事は2―6ページ程度ですが、奈良盆地のみはその中での候補地が絞られないためにまとめて書かれているので12ページとなっており、まあどこかに肩入れするというわけでもなく、公平に書かれていると言えるでしょう。
それにしても九州だけでも30箇所、よくもまあ色々な説を唱える人が多いものと感心します。(呆れます?)
九州全県にわたり候補地は存在しており、なんとわが町熊本県八代もその一つに入っていますが、そりゃ無理でしょう。
また、魏志倭人伝の例の邪馬台国に至る経路の中でほぼ確定と言われている博多湾沿岸の奴国があるにも関わらず、博多湾沿岸に邪馬台国も存在したという変な説もあるということです。
全国では最も東で千葉県我孫子市、北で新潟県栃尾市、南で沖縄と広い範囲に及んでいます。
ただし、どうも古代の遺跡があるところはどこでも邪馬台国と結びつけてしまうという行為の結果のようで、それほど確実性がある話でもないようです。
まあかなり実用向けの詳細なトラベルガイドになっていますが、この本を読んで実際に邪馬台国比定地めぐりをした人もいるのでしょうか。
前にも書いたかもしれませんが、ここで私自身の邪馬台国に対する考えをまとめておきましょう。以降はこの本に書かれていたことではありません。
それは、「紀元2世紀の頃には日本各地に邪馬台国ほどの国はいくつもあっただろう、その中で中国に通交したのは邪馬台国というものであったかもしれないが、他にも大国は存在した」ということです。
したがって、本書にも書かれていたような紀元2,3世紀の大規模な遺跡が発見されたからといってそれがすぐに邪馬台国に比定すべきという必要はなく、単にその当時の大国がここにもあったというだけの話と思います。
これは特に近畿の遺跡に当てはまるもので、その後の古墳時代以降は近畿が日本の中心として栄えるのですからそれ以前にも大きな国があったとしても何の矛盾もありません。ただし、それが「邪馬台国」という名であったかどうか、それにこだわっても仕方ないと言えます。
なお、魏志倭人伝の邪馬台国への里程から様々な説が出されていますが、これも「書かれているべきことが書かれていない」のは何かということを見れば自ずと決まってくるように思います。
それは、九州北部ではかなりの小国まで詳しく書かれているのに対し、それ以降の道筋で当然かなり大きな国があったはずの、現在の広島や岡山、松山、坂出、姫路などの平野部、小豆島や因島などの大きな島が全く触れられていないことです。
ここから見ても近畿の邪馬台国を対象とはしていないと見るべきと思います。
まあ、この魏志倭人伝というものが無ければ日本の古代史というものについて、日本人自らが考えることはかなり少なかっただろうと思うと、それを引き出してくれたという価値はあったのでしょうが、人騒がせな文章だったとも言えるでしょう。