爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ピザの歴史」キャロル・ヘルストスキー著

ピザといえば宅配ピザが相変わらずの盛況のようで、熊本の田舎町の我が家の近くにもつい最近ドミノ・ピザが開店しました。

 

ピザというものに最初に触れたのはもう40年以上も前になりますが、あのチーズがトロリと溶けるというものが信じられないくらいに美味と感じ時々食べては至福を味わったものです。

 

その世界中に広がっているピザというものの歴史や現況、これからについてアメリカ在住のイタリアの歴史が専門の著者が概観を教えてくれています。

 

小麦粉を平たく延ばして焼いて食べる「フラットブレッド」と呼ぶ食べ物は古代から小麦粉生産地では広く作られていた普通の食べ物でした。

それにコロンブスのアメリカ大陸発見によりもたらされたトマトが加わり、イタリアでチーズと組み合わされて生まれたのがピザです。

それはせいぜい200年前、18世紀からのことでした。

 

最初はナポリなど南イタリアのそれも貧しい民衆だけが食べる食べ物でした。

トッピングもほとんどなく、今でもピッツァ・マルゲリータとして知られるもののように、生地の上にトマトとモッツァレラチーズ、バジルを載せただけのものが代表的なものでした。

 

実はイタリア全土に広がったのも第2次大戦の後になってからのことです。

そして、それは同時にアメリカに伝わり爆発的に広がり始めたのと同じ時代でした。

アメリカではそれ以前からイタリア移民が家庭内だけ、あるいは同じイタリア移民が住む町の片隅でだけ食べられていたのですが、戦争中にイタリアに多くの兵士が駐留しそこで食べたピッツァを帰国後も食べだしたのがアメリカでの普及につながりました。

その意味ではナポリ以外のイタリアもアメリカも同様の進化過程をたどっています。

 

イタリア国内でも全土に広がっていく過程でピザは様々な変化をしていきます。

生地自体も土地によって変化していき、たとえばローマでは薄くパリッとしており、モリーゼ州というところでは生地にトウモロコシを混ぜるそうです。

そのような風潮に対しナポリの人は反発し、「正統派ナポリピザ」を守ろうと言う動きも強くナポリピザの店というのも全土にあるということです。

正統派ナポリピザの厳格なルールというものも定められており、生地の作り方、焼き方(400℃)を守り、マルゲリータ、マリナーラ、マルゲリータ・エクストラのみが認められているとか。

 

しかし、ほんとうの意味で世界に広がったのはアメリカのピザです。

大資本のチェーン店が供給する「規格化」したピザというものがアメリカのどこでも食べられるようになりました。

しかし、ハンバーガーなどとは異なるのはそこに必ず「職人芸」のピザ屋が残されていたということだそうです。本物のピザは一応そこに行けば食べられるけれど、普段食べるのは宅配や冷凍のピザで十分ということでしょう。

 

アメリカで多様な進歩を遂げたピザはイタリア人から見ればとてもピザとは認められないものが多いのですが、それでもそれを好む人たちが多数居ます。

あまり日本には紹介されていないものもありますが、イングリッシュ・マフィンピザとか、シカゴのディープディッシュ・ピザ、トマトパイなどといったものが広がっています。

アメリカ人がよく「ピザパイ」という言葉を使うのもそれらの特徴からくる特有の発想のようです。

 

このようなアメリカのピザがその後世界中に広がっていくことになりました。

日本やヨーロッパは言うに及ばず、アジアやアラブ諸国中南米にも広がっていき、それぞれの国で特色のあるピザが作られていくことになります。

 

ピザにトリュフやキャビア、ロブスターなど高級食材をのせるというものも出てくる一方、伝統的な質素なものも楽しまれています。

どちらもピザという枠組みの中でありながら大きく性格が違うものとして食べられています。

そのどちらの方向がこれから広がっていくのかは分からないが、「ピザの人気は衰えることはないだろう」というのが著者の結論でした。

 

また久しぶりにピザを食べたくなりました。