冠婚葬祭というと何やら伝統的な、決まったようなやり方があるようで、また出るたびに変わった風習もあり、だれが言っていることが正しいのかも良くわからず、かと言って最近のおかしな結婚式も変だなと思い、結局はどうなのか私くらいの年になってもよくわからないものです。
著者は文芸評論家ということですが、こういった冠婚葬祭についてもかなりよく調べられた様子で、かえって業界内の人よりも的確な見方をできたかもしれません。
また、文章の各所に見られるユーモアのセンスも中々のもので、面白く読むことができました。
1950年代生まれの私が見聞きしたという結婚式、葬式というものは早くは1960年頃の叔父叔母の結婚式、曽祖父など親類の葬式から始まり、1980年頃に自分や友人の結婚式、最近は子供の結婚式、そして随所に家族親類の葬式と連なっていますが、どれも大きく変わっている点もあり、また少しずつ違う点もあり、なかなか類型化も難しいというものです。
本書はそこで大きく100年ほどの期間をとり、明治時代からの式の形式の移り変わりから記しています。
冠婚葬祭について3つのエポックメイキングな時期がありました。
1900年代(明治30年代)近代国家の確立期
1960年代(昭和30年代)高度経済成長期
1990年代(平成以降)バブル経済崩壊以降
明治30年以前、江戸時代から続いていたのは、武家の「小笠原流礼法」でしたが、庶民の間でも小笠原流を簡略したものだったようです。
結婚式の場合は嫁方での式、花嫁行列、婿方での儀式(祝言)で、神式もキリスト教式もなく無宗教の民間行事でした。
これは葬式の場合でも同じようであり、無宗教という訳にはいかないものの、焼香、読経はあるものの主要行事は葬列を作って墓地に向かう野辺送りというものでした。
それが明治33年、1900年に転換するきっかけとなったのが、後の大正天皇、当時は皇太子嘉仁と九条節子の結婚式でした。それが初めての神前結婚式だったそうです。
さらに、二人はその直後に伊勢神宮などへの参拝を兼ねて新婚旅行をした初めてのカップルでもあったそうです。
そして葬式の方でも1901年の中江兆民の葬儀がそれまでの仏式の葬列というものを嫌った当人の意向で青山斎場での告別式というものの開催を最初に、葬列方式から告別式方式への転換が起こりました。
その後すぐに民間にもこういった神前結婚式、告別式開催という風習は広がり、さらにそれをプロデユースするプロの登場も続いていきます。
葬式で大きな祭壇と霊柩車というものが登場したのもこの頃のようです。
これらの変化の契機となったのは皇太子婚礼などの影響もありますが、実はその2年前に公布された「明治民法」も重要な役割を果たしました。戸主に絶対的な権力が集中し、長男の相続、そして女子を無能力者と規定するその民法のために、一夫一婦制の確立、男性の家への「入籍」といった形式がその時はじめて決まったことになります。
(実はそれ以前はそうではなかったということでもあります)
その後、第2次世界大戦敗戦後に憲法や民法が改正されたことで家庭の制度なども変わりました。しかし、その変化というものは実はうわべだけのものに過ぎず、実際には家制度というものは温存されたも同然であり国民の意識の中では生き続けていました。
とはいえ、冠婚葬祭については様々な変化も起きました。
儀礼の簡素化のために、都道府県(のちに市町村)などの自治体が直接葬儀などを行う生活改善運動などが普及しました。
また、冠婚葬祭互助会というものが発足し積立で儀礼を行う組織ができました。高砂殿や平安閣など今でも存続しているものもあります。
その後、高度成長期に入り国民の経済も豊かになるなかで結婚式と葬式の興隆というものが起きます。
高度成長期というものは「多婚少死」時代でもありました。1970年頃にちょうど50歳となった年代の人々がこのキーパーソンです。彼らには多数の兄弟も居ました。
その頃のホテルでの神前結婚式には叔父叔母なども双方10人以上が揃うという大掛かりなものであり、さらに会社組織の大規模化もあって出席者が増えました。
そしてその頃にちょうど亡くなった彼らの親の葬式も多数の出席者を迎え壮大なものとなりました。
ちょうどその頃に塩月弥栄子さんの「冠婚葬祭入門」という本が出版されます。
これが1960年代の雰囲気を捉えその後のスタンダードとなってしまいます。
この本は確か私の実家にもどこかにあったような記憶があります。
その後、1970年から1980年代に入ると儀式がさらにショーアップされる傾向が強まりますが、それとともにそういった風潮に疑問が出始める時期でもあります。
キャンドルサービス(これはローソク会社の陰謀)や花束贈呈、ゴンドラでの登場などはこの頃に始まったものです。
葬式もこの頃には斎場でのものばかりとなり、それまでの自宅葬式というものはほぼ絶滅します。
1995年くらいには神前結婚式の急激な凋落とチャペルウェディングへの変換が起きてしまいます。神前結婚式の天下はわずか30年ほどでした。
そのためにこれまでの日本の婚礼に必ずいた「媒酌人」というものも消滅してしまいました。これには会社勤めの意識の変化で上司に仲人を頼むという習慣が消えたことも大きく関わっているようです。2005年の数字で仲人を立てたのは全国で1割程度、東京だけで見ると1%だけになったそうです。
この頃は結婚式がどうこうという以前に、結婚するかしないかも個人でバラバラの状況になってしまいました。
著者は今後の結婚というものは、子供なしの事実婚を選ぶ高学歴高収入層と、「でき婚」を選ぶ(選ばざるをえない)低学歴低収入層に二分されるだろうと予測しています。
葬式の今後については、ほとんどこれまでのような壮大な儀式というものは行われなくなるだろうということです。家族だけの密葬が増え、さらにそれすらやらない直葬などというものになるかも。
墓も代々墓というものは消滅していき、散骨も増えるとか。
確かに今ではちょっと以前には普通であった葬儀というのも珍しくなっているようです。まあそれが寂しいとも感じないので、昔のは無駄だったのかもしれません。
しかし、冠婚葬祭の状況を見ていると家族というものの大きな変化はすでに大きく進行しているということなのでしょう。個人個人でどのように考えているかも相当な差があるようです。これが現代というものなんでしょう。