経済関係の本と言うものはその時代の状況に応じて書かれており、その前提が崩れてしまうと何の価値も無くなるというものが多いようです。(そうではなくいつの時代にも適応するというものもたまにはあるかもしれませんが)
その意味では消費期限のある生鮮食品のような「生もの」に近いものかもしれません。
ほんの数年前までは円高の害毒をことさら強調し、何とかならないかと嘆くものも多かったようですが、現在ではほとんど読む価値も無くなっています。
ただし、古くなってしまい、もはやほとんど価値がなくなったような本でも、その時代に思い出を持つ老人にとってはその当時の雰囲気をよみがえらせてくれることがあるかもしれません。
本書もその意味が少しあるかもしれません。
「シェア」とは最近では一時ほど話題にのぼらなくなったかもしれません。ある商品のメーカーごとの市場占有率のことで、普通には日本国内での数値を指します。
シェアを問題とするのは一般消費者向けの商品の場合が多く、特に有名だったのはビール、自動車、家電などで、本書も1990年当時のこの3者の状況を語っています。
実は私の昔勤めていた会社も、それほど大きな市場ではないのですが国内で1,2番を争っていた製品を売っていた関係で、シェアを争うという状況も内部から見ていた経験があり、そのアホらしさも身に染みて感じていました。
シェア争いに嵌まり込むとコストを忘れてしまいます。営業第一となり、度を越えた経費をかけても構わないといった社内の雰囲気を作り出してしまいます。
本書も3分野について各社の右往左往ぶりを経済ジャーナリストの著者が取り上げています。
本書あとがきにあるように、日本で国内シェア争いといった傾向が強まったのは戦後復興が一段落し高度成長期に入る頃からだったようです。
神武景気といった長期の好景気により国内需要が伸び続けました。そこでうまく売り方を確立したメーカーが圧倒的なシェアを獲得したということになり、ビールのキリン、自動車のトヨタというところがぐんぐんシェアを伸ばしていったのですが、対抗する企業もシェアを上げるということが目的となってしまい、手段を構わずにシェアの数字だけを追うと言うことになっていったようです。
しかし、高度成長からバブル期まで続いたこの争いもバブルがはじけた後となってはコストばかりがかかって会社の存続すら危うくなるという状況になりました。
その反省から「もうシェアは問題としない」と宣言する企業も出てくるものの、やはりそれに囚われてしまうという状況がこの本の書かれた94年当時だったのでしょう。
小型のシェア争いに狂奔していた私の居た会社も経営自体が危うくなり大企業に買収されてほとんど消滅したに等しくなってしまいました。時の流れてというものを感じさせられるものでした。