爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

原発を廃止するということはどういうことか その理由

川内原発の再稼働をうけ、その危険性を強調して原発廃止を訴える意見が大きく流れています。
しかしその具体的な方向を示すことができるものはほとんどなく、推進派側からの「経済が縮小しても良いのか」という反論に答えることができるものはありません。

ここでその答えを明らかにしておきましょう。エネルギー依存の経済と言うものはいずれは縮小せざるを得なくなります。それを予測できずに準備なくエネルギー欠乏の状態になると大混乱に陥りかなりの犠牲も出るでしょう。そのためにも今すぐに経済縮小の行動を始めるべきです。

経済成長とエネルギー消費とは密接に関連しています。可能性としてはエネルギー消費に依存しない経済成長と言うものもないわけではないのでしょうが、これまでの科学技術文明のもとでは経済成長とエネルギー消費の増加はほぼ同じ動きを見せてきました。つまり、経済成長とはエネルギー消費増の意味であったというだけのことです。
省エネルギーという技術開発も盛んで、特に日本では高度に発達していると言われますが、それでもエネルギー消費は増えています。個々の機器の省エネ性が向上しても機器の数が増加していけば同じことです。そしてそれが経済成長となりました。
したがって、エネルギー消費を減らしていこうとすれば経済規模を縮小するしかないというのも当然の話です。
ここに間違った期待感を持ち「経済は成長を維持しながらエネルギー消費を削減することができる」と考えているのが現状のほとんどの人です。これを持ち続ける限りエネルギー削減ができるはずもありません。
百歩譲ってそのような可能性が無いとは言えないとしても、現在はまったくできていません。まずするべきは今の経済は縮小してもエネルギー削減をすることです。その後にエネルギーに依存しない経済成長と言うものがもしも出現するのならそれをも否定することはありません。ご自由にどうぞ。

原子力発電は廃止しても通常火力発電があるから大丈夫と言う議論も目にします。これも困ったもので「天然ガスは永久にある」などと言わんばかりの人もいますが、本当にそう信じているんでしょうか。そんなことあるわけないでしょう。
ここ数年はたまたまいろいろな条件がそろっていたために天然ガスや原油など化石燃料の供給が過剰となり価格も下がりました。しかし、こんなことがいつまでも続くはずもありません。必ず近いうちにまた供給減少と価格上昇が始まります。一本道の上昇はないでしょうが、上がったり下がったりしながら基本的には上がります。
したがって、原子力発電を廃止するために火力発電を増強するという選択肢は取ってはいけないものです。石炭は当分は供給可能でしょうが、天然ガス・石油の供給が乏しくなれば石炭に需要は集中するでしょう。そうなれば石炭の供給も難しくなるでしょう。

原子力発電を廃止するということは、このように経済全体を再構成しなければならないということなのです。その中には捨て去らなければならない分野もあるということです。大きく形を変えなければならない分野もあるでしょう。小手先の手法ではこれはできません。それだけの覚悟を持って原発廃止に向かっていくということなのです。
ただし性急にできることではありません。これだけのエネルギー依存社会となるために50年以上の年月が必要でした。これを10年やそこらで変えるというのは難しい話です。それ以上の年月がかかるものと考えなければならないでしょう。しかし、計画と着手はすぐにでも始めなければ間に合いません。遅れれば遅れるだけ混乱は大きくなるでしょう。