爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

”賀茂川耕助のブログを読んで”No.1119 キャッシュレス決済

ヨーロッパで一段とキャッシュレス化が進むという記事です。http://kamogawakosuke.info/2015/07/30/no-1119-%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%82%B9%E6%B1%BA%E6%B8%88/#more-5362
「現金決済の法定上限額」というのがあるんですね。1000ユーロといえば13万円くらいでしょうか。貧乏な我が家でもちょっと大きな家電などを買う場合はその程度の金額を払うこともありました。これも現金払いと言うことができなくなるということでしょうか。
日本でも現金を持ち運ぶより便利と言う口実で様々なカード決済、スマホ決済など浸透してきています。しかし良いことばかりでなくかえって不便になることもあるのも事実です。現在ほとんど列車に乗らない私にはスイカカードなどまったく無用なのですが、たまに東京に行くと現金で切符が買える場所がどんどん少なくなっていて不便極まりないところです。

さて、このようなキャッシュレス化と言うものは賀茂川さんが書いておられるように、良いことばかりではないのはもちろん、相当きな臭い魂胆があるのかもしれません。
自分の財産を現金で持つということは(まあハイパーインフレになればそれもだめでしょうが)最低限の自己防衛であるはずですが、それをも禁止してしまおうということなのかもしれません。ギリシャでは銀行の取り付け騒ぎが起きていますが、究極のキャッシュレス化が進むと確かに「取り付けもできない」ことになります。銀行の中で自分の金がどんどんと価値を失っていくのを眺めているだけしかできないということになります。

さらに金融機関、カード会社など関連する様々な業界には多額の金が流れ込むことにもなるんでしょう。政府と金融機関の癒着構造と言うものが疑われます。
究極の何にでも使える便利なカードは「現金」です。確かに政府などの言うように犯罪集団にも使われるというのも確かですが、それも現金の格別に優れた性質によるものです。海外旅行をする際の心得として、強盗に襲われた場合にはすぐに渡せるようにある程度の現金を別に持っておくということもあります。これもカードであれば全財産を奪われるということにもなり兼ねません。

どうも何か変な方向へと向かわされているようにも感じます。