爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「藩と県 日本各地の意外なつながり」赤岩州五、北吉洋一著

日本各地の食べ物や風習など、かなり遠い地方のものとそっくりと言うことが時々あります。これは偶然なものもあるのかもしれませんが、江戸時代の藩政の影響と言うことがしばしばあるようです。
こういったものを各地、いくつかずつ取り上げてみたという本です。

会津若松には「高遠そば」と呼ばれる辛味大根の絞り汁と醤油を合わせた汁で食べるそばがあるそうです。これは信州高遠のゆかりのものですが、徳川秀忠の息子の保科正之が高遠の藩主であったものが、転封となり会津に移った際に食べ物も移ったといういわれがあるそうです。

富山は薬で有名で、特に「反魂丹」という薬は昔から妙薬として知られていましたが、これはもともとは岡山藩の藩医の万代浄閑という人物が作ったものなのですが、その原料として熊の胆と黄連が必要なのですが、それは富山の生産物でした。そのつながりで万代から製法を伝授された富山の藩主前田正甫が富山で製造を奨励しました。そのため以前は岡山で有名だったものがすっかり富山に移ってしまったそうです。

熊本には有名な通潤橋という石橋がありますが、それ以外にも多数の江戸期から明治にかけて作られた石橋が残っています。これを作った人々は肥後石工と言われますが、その由来は熊本城築城の際に加藤清正が近江から呼び寄せた穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる技術者だったそうです。
熊本城完成後も肥後に住み、その後継者が熊本県内に残る様々な石橋を作ったそうです。

江戸時代にはあまり他の藩との交流は無かったようですが、それでも商取引が盛んな北前船や長崎貿易のルートがあり、それに伴いいろいろな風習も伝わって行ったようです。
また、大名の転封と言うものも頻繁だったのですが、その際に家臣ばかりではなく商人や技術者も連れていくということもあったために、様々な産業、産品なども伝わって行ったようです。それが思わぬ遠方に同じような産品が見られるという現象の理由なのでしょう。

結構、シャッフルされていたんだなというのが感想でした。