爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

長野と信州

時々某新聞社の掲示板サイトを覗いているのですが、そこで「長野と信州どちらを使いますか」という話題が出ていました。

長野県には自称として「信州」を使う場合が多いように感じます。
私の父親も長野県下伊那で大正時代に生まれ、その後関東地方に住んでいましたが、故郷のことを話すときは必ず「信州」と言っていました。
もはやそれが何故なのかを聞くこともできませんが、おそらく本人の感覚では「長野」というと県北の長野市周辺のことを指すという感覚が強かったのではないかと思います。

どこまで一般的に認識されているかわからないのですが、江戸から明治になり廃藩置県というものを実行したのですが、その経過と言うものはそれほどすっきりとすぐに決まったわけではなく、紆余曲折があったようです。
長野県の場合も北部、東部、南部などは別の県となったこともあり、最終的には昔の国の信濃の範囲とほぼ同一の県域となりました。
これも今では当然のように感じられるのでしょうが、「信濃」という国は律令体制で定められ、奈良時代平安時代までは一つの地域として意識されたのかもしれませんが、それ以降は統一されることもなく戦国時代などは諸豪族分立でした。それがよく長野県として一緒になったものです。
旧の国がそのまま1県となったという例は意外に少ないようです。

「県名」というのも、明治の廃藩置県時期にその県庁が置かれた地名を付けられていることが多く、現在の中心都市とは違う名前になっているところが多数あります。栃木県は宇都宮ではなく小都市の栃木、群馬県も高崎・前橋ではなく群馬町山梨県甲府ではなく山梨市の名を取られています。石川県などは町の名ではなく郡の名です。
熊本や鹿児島は一応中心都市の名が付けられたのでその県名で呼ばれても納得できるのかもしれませんが、明治当時の人が「栃木県」「石川県」などと言われるのも抵抗があることだったのかもしれません。

しかし、100年もそれでやってきたということは大きなことで、上記の掲示板サイトに寄せられた意見もまったくそのような経緯を理解できていない発言が多いようでした。なぜそのような疑問が浮かぶのかと言うこともなく、「長野と決まっているから長野でよい」などという人が多かったようです。これもちょっと認識が低いと言わざるを得ないところです。やはり様々な点で歴史に学ぶということは必要ではないでしょうか。