爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「”ザ・タイムズ”にみる幕末維新」皆村武一著

幕末維新のころの状況は日本国内でも多くの記録が残り、さまざまな文学の舞台ともなっていますが、実はヨーロッパなどから来訪した外国人もそれぞれ情報を国に持ち帰っていました。
そして、特にイギリスではすでにその当時には多くの新聞が発行されジャーナリズムというものが存在する時代に入っていたのです。
ザ・タイムズは現在でも発行されているイギリスの新聞ですが、1852年から1878年までの26年間に450の日本に関係する記事が載せられているということです。それは単なる紹介記事ばかりではなく、例えばイギリスが薩摩と戦争をして鹿児島を焼き払ったという薩英戦争の際にイギリスでの国会討論の様子なども報道されており、その行動の是非を議論していた様子も分かるようです。
この本ではそのタイムズの記事を中心に、海外から見た幕末維新の時期の日本というものを描いています。

中国などに進出をした欧米各国は日本にも開国を迫ることになるのですが、それに先立ち、国交のあったオランダから幕府に開国を進める文書が届けられたという事実は知っていました。しかし、これも実はタイムズに報道されていたということです。(1846年)
その後、アメリカが力を入れて大艦隊を日本に送ることになりました。しかし、イギリス側はその動きを知ってはいても冷ややかに見ていたようで、そのようなコストをかけても得られる利益は少ないという判断だったようです。
しかし、アメリカが日本との間に条約を結ぶことに成功するとイギリスなども同様の条約を結ぶことになります。
和親条約に続いて修好通商条約を結ぶのですが、それもアメリカに遅れを取り、そのために内容もアメリカ主導でやや日本に有利な条件になったそうです。

開国をするという当初はその影響などもまったく想像もできなかった日本ですが、もともと海外貿易など全く考慮していない経済体制であったために急激に貿易が伸びることで国内の物資不足というものが大きくなってしまいました。それが開国を進めた幕府に対する反感の増強にもつながり、討幕に向かうわけです。この辺は日本側の資料でもよくわかるところですが、具体的な商船の数、貿易額などなど数字が出ていると実感が伴います。

生麦事件の補償としてイギリスは賠償金を要求するのですが、最初は拒否されます。その結果鹿児島を焼き払うという薩英戦争が起こるわけですが、これについてはイギリス国内で反対派から非難が起きていたそうです。そのような軍事行動が妥当かどうかということは今であれば政権野党が必ず取り上げることですが、それが当時でも起こっていたということは新たな知見でした。

薩摩の島津斉彬はイギリスにも名君として知られていたようですが、その殖産興業というものは結局その後の鹿児島の発展にはつながりませんでした。明治政府には鹿児島出身者が関わるものの、鹿児島自体は取り残されてしまいます。それが西南戦争にもつながるのですが、そのような鹿児島情勢についてもザタイムスには記事があったというのは驚きです。日本人でもほとんどそこの点には着目されていないのではないでしょうか。
あまりにも貧しい鹿児島の状況では、工業化を進めるといっても需要もなく何の役にも立たなかったとか。いまだに後進地域と言わざるを得ません。

著者は鹿児島大学教授ということで、やはり鹿児島に関する記述が重かったのは納得できますが、今の日本人の感覚としては当時の日本人よりは当時のイギリス人の感覚が近いのではないでしょうか。その意味でイギリスでの報道というものは参考になるものと思います。