爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

行ったことのある都道府県 愛知県

愛知県も非常に関係の深い県です。
幼い頃、2歳から小学校1年までの間名古屋に住んでいました。生まれた埼玉県の記憶は全くないので、物心ついたのは名古屋ということです。
また、叔父と叔母が愛知県在住ということもあります。

2歳の時父が名古屋の支社に転勤になり家族で引っ越しました。最初は社宅が空いておらず、千種区の城山というところに借り上げで住みました。そこの大家さん一家とはそれから後も親戚同様の付き合いをさせて頂いており、最近も訪れたことがあります。東山動物園も程近いところで、今でこそ街中のような趣になってしまっていますが、50年以上前には町外れという感覚でした。
その後、社宅が空いたからということですぐ近くですが大久手というところに移転しました。ここは城山より街中に近いところで、道も広く当時でも車の通行が多い場所でした。

幼児だったせいもあり、父の休みの時などあちこちに遊びに出かけたようです。家の近くの覚王山東山公園の植物園、動物園など記憶にあります。ちょっと離れたところでは、父が城郭マニアだったので岐阜城犬山城といったところにも出かけました。

久手に居る頃に幼稚園、小学校入学ということになりました。幼稚園には近所の子供と一緒に通園バスで通ったので場所についてはほとんど覚えていないのですが、名前だけは昔の写真に書いてありました。それを頼りに調べてみたらちゃんと今でも存続していました。もちろん幼稚園周辺は高い建物が建て込んだ中にあるようで、記憶とはまったく違う場所になってしまっているようです。
小学校は近くの千種小学校に歩いて通いました。入学式の時には桜が咲いていたように思います。そこには1年間だけの通学でした。

久手の家での思い出として、伊勢湾台風がありました。1959年の9月26日ということですので、4歳の時だったのですが、夕方から風雨が強まったように思います。しかし、こちらはまだ怖さも判らない年だったので、そのままいつものように弟と二人で眠ってしまいました。
朝起きてみたら、庭を囲んでいた板塀がすっかり倒れてしまい、庭に置いてあった三輪車が飛ばされてどこかに行ってしまったという記憶があります。その夜のうちにごく近いところで数千人もの人が高潮で亡くなっていたなどと言うことは当時は全く判りませんでした。家の被害もかなりあり、あちこちで雨漏りがして両親も兄も一睡もできなかったとういことでしたが、子供二人は良く寝ていると感心されたそうです。
久手の辺りも現在のGOOGLE MAPのストリートビューで見ることができますが、家のあったところは事務所の駐車場になっているようです。ただし近くの古い家や商店は残っているものもあるようで、かすかな記憶があります。

どうも名古屋というと私の原風景というもののように感じられます。