爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「友情を疑う 親しさという牢獄」清水真木著

最近の少年犯罪では、友人関係の中での暴力・殺人事件が目立っており、またネットの絡む犯罪でも友人と言う関係がかえって要因となるような事例が目に付きます。
そういった最近の話題かと思ったのですが、本書の内容は古代からの友情というものに関する哲学的な分析の解説というもので、ちょっと意外な内容でした。

著者は東大文学部の西洋古典学科と哲学科卒業ということで、そちらが専門の研究者です。
友情に関しては古代ローマの時代から数々の著作が取り扱っており、有名なものではローマのキケロが書いたものがあります。
ローマ共和制の時代にグラックス兄弟と言う改革を進めようとしてかえって失敗し殺された政治家がいますが、その友人として現れるガイウス・ブロッシウスという人物があり、その言動をキケロは批判しています。グラックスの改革に批判的だったのが当時の一般的な考えだったのですが、ブロッシウスはグラックスの友人だからと言う理由でその政策を支持しました。それは間違いだと言うことです。友情は反社会的な行動のもとにもなるということです。

しかし、その後16世紀になってフランスのモンテーニュはその見解とは反対のことを「友情について」という文章の中で語っています。モンテーニュとその友人のラ・ボエシーとは危険であっても助けるために窮地に飛び込むと言うものだったということです。

本書の最後には「友情の黄昏」と書かれています。モンテーニュの言うような友情と言うものは現代から消えているのかもということです。しかし、友人というような特別な存在に依存する社会と言うものも理想的な社会ではないということです。親しい知り合いなどを持たずに、しかも幸せに暮らせる社会が理想とする社会なのだということです。