爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「環境保護運動はどこが間違っているのか?」槌田敦著

世の中がまだ環境保護というものを始めようとしていた頃、1992年の出版で、7月に第1刷が発行されその11月に第7刷が出されたものを購入しています。相当売れたものでしょう。なお、調べてみるとこの本はその後1999年に改訂新版発行、さらに2007年には新書版になって発行されていますので、かなりの売れ行きが続いていたものと思います。
内容は当時の環境保護活動の様々な問題について広く語っているものですが、これも現在まで変わらないものもあり、また少し変化してしまったものもあるようです。

私自身もそれまでは環境については深く考えていたとは言えなかった状況ですが、さまざまな面で環境保護と言う言葉を聞くようになり、遅ればせながら少しは本でも読んでみるかと言う程度の気持ちで、当時は「槌田敦」という名前も知らずにただこの本の表題の刺激に引かれて買って読んだものでした。

本書の最初は「皆がエコロジカルな生活をすれば地球を救えるか」という項目名で始まっていますが、「エコロジカル」ときちんと書くと言うのも今ではあまり見られなくなっています。たいてい「エコ」だけですが、それじゃ「エコノミー」と見分けがつかないと思うので、少なくとも「エコロジカル」までは言って欲しいものです。
まあ、もちろん当時から言われていた「エコロジカルな生活」などいくらやっても「地球は救えない」というのが著者の主張です。

取り上げられている問題は、リサイクル、分別収集、有機塩素・放射能、自然食品、二酸化炭素温暖化、エネルギー問題、と今でもまったく変わらずに問題であり続けているものを一刀両断で論破しています。
その辺の個々の問題の記述はここでは詳述はしませんが、対策として提唱されているのは極めて本質的な対応です。
その頃も(今でも)対応の新技術の開発では行政からの補助金で行われることが多かったのですが、著者はそのような補助金という手法はほとんど役に立たないと言うことを論証しています。当然のことで、補助金というものはできなければ返せというほどに強制させなければ開発に成功する可能性もありません。せいぜい通り一遍の報告書だけで可としてしまえば本気でやろうとはしません。
かつての日本で、亜硫酸ガスの排出を規制するために税金を取ったことがあったのですが、それで排出業者は亜硫酸ガスが出ないような技術の開発に全力で取り組んだ結果、ほとんど排出しないようになったそうです。他のものについてもこのような、「毒物等物品税」と言うようなものを課税してやればそれを避けるために新技術の開発に力を入れるようになるというのが著者の指摘です。

なお、この「毒物等」という点では、必ずしも有害物質だけでなく自動車の運転免許というものもその一種と言うことに気がつけば、課税を強めて他の方向に進めさせるような政策とできるという意味で「等」とつけているということです。
確かに自動車と言うものも誰もが便利と思って乗り回していますが、その直接の事故死者だけでなく多大な損害を社会に与えているのも確かであり、制限する必要があるのかもしれません。著者の慧眼でしょう。

いろいろと批判を受けてもいる槌田さんですが、さすがにそれだけのことはあるということが理解できる著書でした。