爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

読書記録「江戸と現代 0と10万キロカロリーの世界」石川英輔著

21世紀に入った頃に日本でのエネルギー消費量が1日1人あたり10万キロカロリーであることを知った著者は、その半分、1/10の消費量だったのは何時だったかと調べ、5万キロカロリーだったのが、昭和45年頃(1970年)、1万キロカロリーだったのが昭和30年頃(1955年)だったことを知ります。
そして、考えてみると著者が詳しく調べている江戸時代には太陽エネルギーの消費はあるものの、化石エネルギーなどの消費はほぼ0であることに思い当たり、0と10万とを比較してみようと思い立ったのが本書執筆の動機だそうです。
著者は昭和8年の生まれということですので、昭和30年には22歳、昭和45年には37歳、そして2000年は67歳ですのでこれらのポイントは実体験としてはっきりと記憶されています。(さすがに0キロカロリーの江戸時代は直接はご存知ではないでしょうが)その比較を社会の各所、生活の各部についてして行こうというものです。

ゼロと10万だけを比較してしまうとあまりにも違いが大きくてわかりにくいののかもしれませんが、そこに1万と5万を入れてみると意外に10万と変わらないという感想を持ちます。10万になって何の違いがあるのか、結局無駄に捨てている部分が多いだけではないかと言うのが著者の意見ですが、それは私にも良く分かります。

乗り物というと、江戸時代ではそのまま「駕籠」を意味した言葉です。製造にはエネルギーを使いますが、運用には人力だけです。食糧は要りますが。
1万の昭和30年には自動車はまだ一般には普及していませんでした。家庭では自転車を使うことが多かったかも知れません。
5万の昭和45年でもまだ自家用車保有率は30%でした。10万キロカロリーの時代になると一家に1台どころではなく一人1台に近いものになっていますが、ほとんどのエネルギーは無駄になっているようです。

また、「冷やす」という項ではもっとも大きな変化が起きたと見られる「冷蔵」について語られています。現代では各家庭に冷蔵庫があり、それでいつでも生鮮食料品が食べられるようになっていますが、0キロカロリーの江戸時代では将軍でも大富豪でも物を冷やすということは困難であったはずです。そのためか、あまり冷やしたものを食べるという習慣も(当然ですが)なく、冷たい清水が流れるところでも現代では普通に冷やされる果物なども冷やすということがなかったようです。
著者はちょうど1万、5万のエネルギー使用の変遷と冷蔵庫の進化についても多くの記憶を持っている世代ですが、1万キロカロリーの昭和30年ころにも氷を入れる氷冷蔵庫というものはあったにしても贅沢品であり、それほど普及もしていなかったようです。氷自体が非常に高価なものであり、それを毎日のように配達させるには相当な出費だったのでしょう。しかし、5万キロカロリーの昭和45年に近づく頃には急激に普及し、昭和40年には普及率が95%に達したそうです。
この辺は私自身の記憶にもあるところで、幼児のころの昭和30年代前半には確かに氷冷蔵庫というものもあった覚えがありますが、その後ほどなくして電気冷蔵庫が家に入ったような気がします。
しかし、その現状は食べ物を入れっぱなしで捨てる羽目になることが多くなったのは間違いなく、食べられる食物だけを置いておいて、きちんと管理するという習慣はかえって昔の方が優れていたのでしょう。

「着る」という項では、布の進歩が書かれていますが、江戸時代でもその始めと終わりでは大差があり、木綿というものは初期にはかなりのぜいたく品だったようです。栽培自体も普及したのは江戸時代になってからで、しかも綿花栽培にはかなりの肥料施肥が必要となるために購入する油粕、魚粉などの金肥の流通が盛んになってようやく普及したもののようです。
しかし、その後の木綿の価値の凋落は激しく、江戸時代中期には早くも安価な布地という扱いになっていき、ぜいたく品は絹ということになってしまいました。

「食べる」項についてはやや問題を抱えているような記述があります。江戸時代の末期には飢饉が頻発し、その記録が多いために江戸時代全般にわたり食糧危機が続いたかのような印象が強い(という人も多いのでしょう)が、江戸時代初期の人口は1200万人くらいで、それが幕末には3000万人にまで増えていたのだから食糧も豊富になっていったはずだというのが著者の意見であり、飢饉もわずかな例であるということです。
それは確かなのですが、ここには「江戸時代」を一様に見るという点で、一般の「飢饉の多い江戸時代」も著者の「ほとんどが普通に食べていた江戸時代」という見方にも欠点があるように思います。
気候の歴史を見ていくと、江戸時代の初期には温暖であったことが判ります。さらに平和になったことで食糧生産も増大し、新田開発を大規模に実施したことも加わって人口増加が可能になったほどに食糧生産が増えたのでしょう。
しかし、江戸時代中期以降、気候が寒冷化し食糧生産の不作が続きました。増えてしまった人口がかえって災いし飢饉の被害も大きくなったものと考えられます。

さらに、江戸時代の食事の内容についても数々の文献から魚や大豆製品などが流通し、脂肪過多の食品を過食し健康を損なう現代より良好な食生活と著者は持ち上げています。しかし、それが江戸時代の姿といえるでしょうか。
著者は江戸時代の文献を多数研究し、当時の生活についても豊富な知識を得ていますが、あくまでも文献になっている範囲に限られるのではないでしょうか。
つまり、江戸や大阪など都会地の生活だけではないかという疑問です。魚や大豆などがふんだんに流通するというのは非常に限られたところだけではなかったでしょうか。ほとんどの人間が農村部に住んで農業に従事していた当時、そのような人々が魚や大豆を良く食べていたとは思えませんが。
食生活については良く参考にさせて頂いている松永和紀さんの著書には、昔の農村部の食生活は「ばっかり食べ」で手に入る食料だけを食べて空腹を満たすだけで、さまざまな食品を食べるなどということはできなかった時代がつい最近まで続いていたとあります。
結核の流行が治まったのも食生活で栄養が良くなってからだという指摘もあります。現代の食生活は決して良くないのは間違いありませんが、江戸時代もそれほどよいものではなかったでしょう。

しかし、これだけ大量のエネルギーを浪費していながら、無駄をするばかりでまったく幸福になっているように見えないのが現代であるという著者の主張はもっともなものと考えられます。