爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「気候変動の文明史」安田喜憲著

環境考古学者という安田さんの本はちょうど1年ほど前に1冊読みました。それは長江文明に関したものでその中には気候変動により北方の遊牧民の移動と言うことも触れられていましたが、本書はそちらの気候変動の文明への影響の方を主にしるされたものです。

 

温暖化のためと言われていますが、台風などの暴風、洪水、また旱魃など気候の変動のために気象災害が多くなっていると言われています。

しかし、実はこれまでの人類の歴史というものもこのような気候変動によるものに大きく左右されてきたというのが著者の主張です。

それが二酸化炭素濃度の上昇によるかどうかはともかく、人類社会に大きな影響を与える気候変動は随所に見ることができ、これまでは文明の繁栄、衰退といったものが歴史の展開と言ったことのみから語られていたようですが、実際はそのような気候の影響であったと言うことができるそうです。

 

キリスト教の聖書に有名なノアの洪水の説話がありますが、これも実際の大洪水の記憶が反映されているだろうということです。

考古学の手法による解析で大きな洪水が起こっていたことは明らかになります。そしてそれが古代の文明に大きな影響を与えたことが分かります。エジプトでもナイル川の大洪水が起きていたようです。また日本でも縄文時代に大洪水が起こったことの証拠が見つかっています。

ノアの大洪水のもとになる話は、メソポタミア文明の粘土板文書にも書かれていました。ギルガメッシュ叙事詩と言われるバビロニア時代の話を記した粘土板を紀元前7世紀のアッシリアのアッシュール・バニパル王が蒐集しておりそれが残されていたのですが、その中に旧約聖書のノアの洪水と極めて似通った大洪水の話が残されていました。

そして考古学的発掘により紀元前3000年ころの地層に大洪水の痕跡が見つかったそうです。著者自身の研究によってもちょうどそのころに気候の大きな変化があったことが証明されます。その時期の堆積物に湿地でなければ生育しない植物の花粉が見られ、現在のような乾燥地帯ではなかったことが分かるそうです。

 

そのような大洪水と言うものは、実は温暖化によるものだけでなく、寒冷化する場合にも見られるそうです。気温の変化というものを年代別に追っていくと急上昇しだすところでも、また逆に急低下するところでも大洪水の証拠が見つかるそうです。

 

奈良時代から平安時代にかけての頃は温暖化が進んだ時代でした。そのため洪水などの気象災害も頻発したそうです。これは日本ばかりでなく中国なども同様で、そのために唐も大凶作となって暴動が起こり国が不安定になりました。

菅原道真が昇進したのもちょうどそのころで、遣唐使廃止を彼が決めたのも唐にはもはや使いを出す価値がないと判断したからですが、その後失脚した道真が亡くなった後、京都に暴風雨や雷が来襲し、落雷で藤原清貴や平希世が死んだために天神として祀られることになりました。それも気候変動のためかもしれません。

 

その後10世紀には急激に寒冷化しそのための災害も起きてしまいます。この原因は915年の十和田カルデラの大火山による気温低下だそうです。さらに937年には朝鮮の白頭山が大噴火を起こしそれも影響を及ぼしました。これで唐や渤海も息の根を止められるのですが、実はちょうど同時期に崩壊したのが中米のマヤ文明だそうです。ユカタン半島の中央部に位置する、チチヤンカナブ湖というところで湖底の堆積物の分析をしたところ、炭酸カルシウムと含水硫酸塩の量からちょうどその時期にこの湖が淡水から塩湖に変わったことが分かるそうです。すなわち極度の旱魃に襲われたということです。

 

現代文明も決して気候変動からは逃れられません。著者の考えではここ100年のうちに崩壊するということです。それは水というものに左右されるようです。温暖化にせよ寒冷化にせよ、農業のための水が安定的に供給されなくなる事態につながり、その結果食糧が不足することで大きな紛争になりそうです。

日本は幸いにも水の供給だけは豊富にあります。それを生かし生き残る方策を考えておくべきと言うことです。