爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「右傾化する日本政治」中野晃一著

上智大学教授で比較政治学が専門の著者が今年の6月に執筆し7月に出版したばかりという新物の本ですので、現在国会で審議中の安保法制に関しても記述されており、非常に臨場感の強いものになっています。

田舎の市立図書館でほとんどの蔵書は古いものばかりなのですが、中にはこのようにほやほやで湯気が立っているような本もあります。

 

さて、「右傾化」とは一体何かということですが、一般に受け入れられる定義では「平等志向・個人の自由尊重・反戦平和主義・植民地主義の反省と謝罪」を”左”、「不平等や階層間格差の是認・国家による秩序管理の強化・軍事力による抑止重視・歴史修正主義」を”右”と捉えるということで、これは日本ばかりでなく海外においても広く受け入れられるものになっています。

したがって、「右傾化」というのはそのような”右”への動きと言えるでしょう。

 

このような右傾化というものは日本ばかりでなくイギリスのサッチャーやアメリカのレーガンがニューライト(新右派)を標榜して現れたことではっきりとしてきました。

これは特に小選挙区制を取る英米で顕著であり、比例代表制が一般的なヨーロッパ大陸各国ではそれほど目立たないというのも特徴的なもので、小選挙区制というものの性格をはっきりと示していますが、本書ではそれは扱わないとしています。

 

日本においてはこのような新右派の表れとして、新自由主義国家主義の連結による新右派連合というものが力を得てきました。新自由主義とはグローバル企業の活動を野放しにし、市場経済の規制を緩めてやりたい放題にさせるというものであり、国家主義とは修正主義により「正しい歴史認識」とか愛国心を重視し、軍事力を増強し憲法改正を目指すというものです。

まさに現在の政権がやろうとしているものそのもののようです。

 

このような新右派というものに対し、「旧右派」というものはどういうものだったかと言うと、いわゆる55年体制で長らく政権を担当してきた勢力に他なりません。

これは1955年に保守合同で成立した自由民主党の主流派で取られていた政策で、冷戦下で官主導の経済開発に邁進し、その参加者に対しては温情と恩顧を及ぼし体制を維持するという以前の日本社会そのものを作っていたものでした。

しかし、経済成長が行く着くところまで行ってしまい、海外との摩擦により頭打ちになってしまうとその方向の持続はできなくなってしまい、革新勢力の伸長ということも起き、その結果として保守勢力の中での旧右派の勢力が衰えるということになってしまいます。その代わりとして登場したのが新右派ということです。

これは80年代の大平正芳にその芽が見られるのですが、本格的に始動したのは次の中曽根からです。中曽根には復古的な国家主義をも持ち合わせており、本人はもっとやりたかったのでしょうが、まだ政権内部にもそれを許さない勢力があり、なかなか動きが取れなかったようです。

しかし、その後の新右派への転換は小沢一郎橋本龍太郎小泉純一郎と続いて現在の安倍晋三に至ることになります。その間には揺り戻しも強く作用し、自民党の一時的な選挙敗北により、自社さ政権の成立、民主党政権の成立というものが起きますが、いずれも失敗してしまい自民党の政権が戻ることで新右派的なものへの転向もさらに強まってしまうということになりました。

 

ソ連が崩壊した時には自由民主主義が勝利し、あとは拡大していくだけだという楽観的な見方もありましたが、今日では世界中でトランスナショナルな富裕層による寡占支配が強まり、極右排外主義政党の伸長などが増加し、どこの国でも「代議制民主主義の危機」が叫ばれるようになってしまいました。

日本の新右派勢力の伸長もその一環でしょう。これにストップをかけるにはどうすれば良いか、リベラル左派の政党の勢力回復にはどうすれば良いか、著者によれば1、小選挙区制の廃止、2、リベラル政党の新自由主義との決別、3、同一性を追求するのではなく他者性を前提とした連帯へ ということです。

どれもとてつもなく高いハードルのように思えます。しかしこれを為さなければずるずると新右派の思うような社会にされていくのでしょう。