爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「日本の食卓から魚が消える日」小松正之著

著者は農水省で長く水産行政を担当し現在は大学教授に転じて水産業に関する著書も数多く出版されているようです。したがて、世界の中での水産業と言うもののおかれた状況、日本の水産業の問題点など非常に詳しく、また率直に書かれていると考えられます。

2010年発行の本ですが、当時はクロマグロの乱獲による激減が問題となり禁漁も話題にのぼっていました。その当時は北大西洋と地中海の禁漁をモナコが提案したのですが、なんとか採決では否決されました。しかし資源の回復に向かうわけではありません。地中海などのクロマグロもその多くは日本が消費しているのですが、日本で資源回復を狙った施策が考えられたということもなくそのままの状況が続いています。
クロマグロというのはマグロ類のなかでも1%程度を占めるだけの種なのですが、味が良いために好んで取られてきました。しかし乱獲のために大きくなるまで生き残るものが少なく、現在では水揚げされるクロマグロがどんどんと小型化し(若いものだけになっている)そのため脂ものらず味も落ちているそうです。
マグロの漁法にも、定置網漁、はえ縄漁、巻き網漁とあるのですが、以前ははえ縄といって釣り針を多数つけた縄を流してしばらくたってから上げるという漁が多かったということです。はえ縄漁は魚群の一部を取るだけであったのですが、それが巻き網という網を広げて一気に絞って捕まえるという魚群を一網打尽にする漁法に変わってきました。そのためにあっという間に魚の資源が枯渇するような状況になってしまいました。

マグロだけでなくイワシ、サバ、タラ、などほとんどの魚種で水産資源はどんどんと低下しています。もはや漁獲を増やしてはいけない状況になっているのです。
しかし、日本の市場と言うものは漁獲とは関係のない値段の決まり方をしているので、慢性的に魚価安ということです。そのために漁業者はどんどん減少していき、また高齢化も止まらず漁船数も減っていきます。
漁獲量の減少と言うのは日本ばかりでなく世界的にも同様ですが、温暖化の影響も考えられるようです。

魚の流通にも問題があり、日本では昔から産地の市場と消費地の市場との両立で動いてきました。築地などの消費地市場が有名ですが、実際は現在ではかなりの量の市場外流通が見られます。市場流通と言うものも効率が悪い面があり、外国にはそのような市場がないところもあるようです。
しかし、漁業というものが行き当たりばったりの取り方でなされていた時はそれで良くても、養殖物と冷凍物が増えれば市場は不要となります。その状態に近づいていくようです。

生産側でも漁業権というものを漁業協同組合のみに認めていることから、大企業の参入と言うことができず、また組合の体制も旧来通りで新規加盟の判断も組合長の一存だけで決めるということろも多く、運営がうまく行かないまま組合員がどんどんと減っていくということにもなっています。
水産資源の回復のためにも個別譲渡性漁獲割り当て(ITQ)という制度の導入が必要なのですが、漁業者の反対でできないということです。生産体制自体の問題点も大きいというところでしょう。

世界的に魚資源の利用と言う動きが広がっているために漁業に関する国際ルールというものもその存在感を大きくしています。排他的経済水域の強化と言うのもその一つで漁業権もその国だけのものになるというものですが、これだけであれば水産資源の乱獲による減少が避けられないので、魚種ごとの国際的な取り決めと言うものが多くなってきました。これは魚の特性として一つの水域だけに住むというものばかりでなく、行動範囲が広いものもおおいからです。
回遊性のマグロやカツオなどは排他的経済水域に入ってきたときに一網打尽にされては他の水域にも影響が出ます。そのために世界的に漁獲量を決めなければならないということです。

特徴的な魚の特性として、遡河性というものがあります。サケマスなどのように川で生まれて海に下るという性質なのですが、これらの魚の漁には「母川国主義」という考え方が優先しています。つまり生まれた川の国に漁獲の優先権があるということです。著者はこれは不当なものであると指摘しています。生まれてから海に入る時の魚はせいぜい10gしかありません。それが川に帰って産卵する時には8kgにもなります。つまり成魚の99%は海で大きくなっているということです。
しかし、母川国主義が幅を利かせているのはそのような河川はロシア・アメリカなどの大国だからだというのが著者の的確な指摘です。日本もかなりの母川を持っていますが、持たない国にとっては不公平な規定かもしれません。

個別漁獲割り当てという制度はすでに1970年代にアイスランドで、80年代にニュージーランドで取り入れられ、資源の回復に成果を出しました。しかし、日本では漁業者などの反対が強く実施できません。上限となる漁獲量を定めるところもできず、ましてや一人一人の漁獲枠を決めることなどまったく不可能のようです。この制度を発足させた国々では沿岸漁業の水産資源の回復がなされたそうです。日本はその計画もありません。
ITQ枠を設定すると取った魚の投棄が起こるとか、日本は魚種が多いから難しいとか、漁業者も多いから無理とかさまざまな理由を持ち出しますがどれも解決可能なものばかりです。
日本で魚が取れなくなっても外国から輸入できるとも限りません。中国などに買い負けするという事態はすでに起きているようです。
水産業の復活のためにも科学的で厳格な管理とITQを実施できるように、消費者も後押しをしてほしいというのが著者の望みです。

漁業者減少と衰退が顕著な中、漁業施設などへの公共事業は収まらないようです。ほとんど漁船もないのに港の整備といった事業を実施しているところが何か所もあります。暇な年寄りの魚釣りにしか使われないような巨額の費用をかけた岸壁があちこちにあります。このような馬鹿な金のかけ方をせず、水産業の本当の復活を期待したいということです。
日本の技術での貢献も可能性はあります。マグロの完全養殖、うなぎの養殖技術の開発など、また高度の冷凍技術も可能性が強いものです。
著者の水産業への思いが詰まったような中身の濃い本でした。