爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「名作の中の地球環境史」石弘之著

古今東西さまざまな文学作品が書かれていますが、人々の生活をリアルに描いていくとそこには必ず環境のおよぼす影響が影を落としているということが分かります。主人公が苦しい生活を送っているという状況は文学の重要なバックグラウンドですが、実はそれは環境悪化のためであるということが、振り返ってみれば分かってきます。そしてそれほど人類の繁栄というものが地球環境を悪化させているというものであるということでしょう。

著者の石さんは新聞記者から大学教授、ザンビア特命大使なども勤めたという方ですが、環境問題については多くの著書を書いているということです。

スタインベックの「怒りの葡萄」という作品は1930年代のアメリカで大干ばつのために中部オクラホマ州での農業が続けられなくなった農家の一家がわずかな希望をもってカリフォルニアに向かうがその先でも絶望的な状況であるということが描かれています。ここにはアメリカの農業開発とその結果としての土壌の荒廃、さらに洪水の多発などが絡んできます。これは現代のアメリカ農業にも続いている問題でしょう。

ブラジルのラケル・デ・ケイロスという作家の「旱魃」という作品はアマゾン川の下流域にある「ノルデステ地方」というところの貧しい農民を描いていますが、アマゾンがジャングルというイメージが強いもののそこに隣接するノルデステ地方は乾燥地帯で、それが開発が進むことによって砂漠化が進行しているそうです。こういったことはなかなか外から見ても分からないことですが、文学になることで雄弁に語ることができます。

ノルウェーの作家、イプセン「ブラン」という劇詩を著しましたが、そこではイギリスからの汚染ガスによる酸性雨ノルウェイでの状況が描かれています。イギリスでは中世から森林を切りつくし、燃料が得られなくなったところで石炭の燃焼を始めましたが、18世紀には石炭への転換も完了してしまい、1800年に石炭生産量が1500万トンだったのが1900年には2億3000万トンにまで増加しました。その結果、非常にひどい大気汚染がイギリスを覆い、さらにそれが北欧にまで流れて酸性雨として環境を汚染してしまいました。

江戸時代初期の学者、熊沢蕃山は「大学或問」という本を書いていますが、そこでは森林の伐採でさまざまな環境悪化を引き起こしているので治山治水をすることを主張しているそうです。
蕃山は岡山藩に仕えたために中国地方の状況をよく観察し、その山林荒廃のひどさに気がつき植林の必要性を説くようになったということです。
中国地方は古代から森林伐採が進められており、その結果山は禿山かせいぜい再生した二次林の松林程度しかないような状態で、洪水が頻発するようになっていたそうです。
本の森林の歴史を顧みると、大きな消失期が3回あったということです。それは、古代国家が成立した6世紀から9世紀までが1回目、豊臣秀吉の全国統一から江戸時代初期までが2回目、そして第2次世界大戦中から戦後復興期までが3回目だそうです。
いずれも農地の開墾で森林を切り払うということが起こるとともに、大規模な建築ブームが起こって建築用材として非常に多くの木を切ってしまったことがその理由になります。
東大寺の建築用材の供給地を見ると、創建された733年にはそれはほとんど伊賀や琵琶湖周辺など近辺で調達できたのが、1190年に再建したときには山口県に行かなければ丸太が得られなくなっており、さらに1709年の再建の際には九州の霧島で調達したそうです。そして、1909年の明治の大改修では日本国内にはもはやそのような木はなく台湾から運んだそうです。
土壌中の花粉の分析から、歴史的な植物分布を調べる花粉分析という方法がありますが、それによるとアカマツが生えていた場所は縄文時代には瀬戸内海周辺のみだったそうです。その後、鎌倉時代には全国に拡大し江戸時代には人里の周囲はほとんどがアカマツ林になってしまいました。また、森林を失ったところでは土壌の侵食が進み大量の土砂が流れ出すようになり、海岸に砂浜が大きく形成されるようになりました。「白砂青松」という風景は実は自然そのままではなく荒廃した山林によって作られたものだということです。
このような状況を戦前の東京帝国大学教授の本田静六氏は「赤松亡国論」として発表したそうです。

日本ばかりでなく世界各国でも人類が栄える以前は一面の森林だったところが、文明の発達によりどんどんと木が失われていき草原や荒野となってしまったそうです。ギリシアや中近東も現在はほとんど木も見られないようになっていますが、古代には一面の森だったそうです。それが農業用地としての開墾や、建設用材、また船の用材として、さらに燃料として切り出され、すべてをなくしたところでは文明の衰退も起きました。イースター島での文明の消失は有名になっていますが、そのような事態はどこでも起きていることです。
さらに、今後は世界的に起きるかもしれません。
人間というのはつくずく環境を荒廃させる罪深い存在なのだということが分かります。