爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

脱石油を政治運動化

石油に依存しすぎている現代文明は危険過ぎており、できるだけ早く脱石油を果たさなければ人類社会自体の危機にもなりかねないと言うことはこれまでにも書いてきたと思います。
それは、一つの可能性にまとめて記すなら「石油の奪い合いでの超大国間の戦争勃発」です。他にも諸問題が噴出しそうですが。
それが10年先になるか、100年先になるか、もしかしたら1000年先かも知れません。10年先なら大変だけど1000年先なら関係ないですか?1000年先でも自分たちの子孫が直面するんですよ。次の東北大津波よりは早く来ることかも知れません。
10年先くらいならその大国とはアメリカと中国でしょう。ロシアも絡むかもしれません。100年先なら相手が変わっているかもしれません。しかし、このまま進めばその組み合わせがどこであれ、起こる危険性が高いでしょう。

しかし、今まさに真っ盛りの衆議院選挙の各党の主張を見てもそのような可能性を少しでも考えている政党はなく、どこも今のアベノミクスが”経済成長”に効率的かどうかということだけを問題にしているようです。このような現行の政党にいくら期待をしても無理な話でしょう。
今度の選挙には間に合いませんが、やはり「脱石油」という活動は日本全体で進めなければできないものでしょう。
それはなぜか。温暖化対策の省エネルギーなどといったちっぽけな活動とは違い、脱石油は日本の社会全体を変換しなければできないものだからです。
石油に限らず、エネルギーをたくさん消費する産業にはもはや日本に居て欲しくありません。エネルギーを使わずに価値を生み出せる産業だけでやっていく。さらに農林水産業、食品加工業もエネルギーを使わない方向に転換させる。そういった変化は社会の激変となるでしょう。現在のように数%の経済の指数の上下で一喜一憂しているような変化とは訳が違います。

こういった進路を納得してもらい社会すべてを適応させていかなければ、いずれは世界大戦に巻き込まれることになるかもしれません。
石油を使わなくなるといっても戦前までの社会にすべて戻るわけではありません。使える技術は使っていきますが、じゃぶじゃぶとエネルギーを消費するような技術は使わないということです。それが新しい「持続社会」の姿になると思います。