爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

再読:「医学と仮説」津田敏秀著

半年ほど前に読んだ疫学者の津田さんの本ですが、科学哲学の部分をもう少し読んでみました。

なお、津田さんの名前でネット検索をするとかなり多くの記事が引っかかります。どうやら福島での甲状腺がんの発生についての発言からのようです。現状では、どちらの側からの発言に対しても相当数の非難が浴びせられる状況には変わりがないようです。(もちろん、原発擁護の発言の方が非難が多いでしょうが)いつになったらこういった状況が落ち着くのでしょう。

さて、本書の導入部は医学の判断において、疫学的な手法というものがいまだに「間接的」といった誤った評価をされており、実験医学や遺伝子解析ばかりが科学的手法であると誤解している専門家も多いということから、始まっていますが、著者が次に言いたいのはおそらく、疫学という手法の根本にある科学哲学というものについての理解が特に日本の科学者にはまったく行き渡っていないということであるでしょう。

医学で実験が必須と言う考え方は実験医学序説という本を書いた19世紀のベルナールと言う医学者に始まると書かれています。機械論(メカニズム)を医学に持ち込んで、要素還元主義をもたらしたのは彼だと言うことです。
それにあまりに傾斜するために、一回でもメカニズムが見つかれば解決という解釈を取ったのですが、これは疫学での繰り返しの観察ということや、統計的な処理と言う方法とは相容れないものです。
20世紀になって医学研究が動物実験から細胞実験、分子実験、遺伝子実験へと広がり、また逆方向では人間での観察という方に進んできました。人間での観察というものの方が実際の病気の状態との関わりが密接であるはずなのに、動物から遺伝子へと広がった実験の方が優れているという誤解をする人が、実際の医学者の中にも多数残ってしまっています。

要素還元主義というものは悪用される例が非常に多く見られます。タバコと肺がんの関係についても「まだメカニズムが解明されていない」という口実で対策を遅らせてきました。また、日露戦争の際の脚気の対策にもそれが悪用されたために多くの病死者を出してしまいました。
森永ヒ素ミルク事件でも多くの患者が出ていてそれが皆森永のミルクを飲んでいるということに医者が皆気付いていながら、その原因が解明されていないという口実で回収という措置をとることができずに患者を拡大してしまいました。水俣病でも魚を食べて病気になった人が多数出ているにも関わらず、その原因物質が分からないと言うために対策が遅れ多数の患者を増やしてしまいました。

ヒュームの問題というものがあるということをここで著者は取り上げています。因果関係というものは、①暴露があって病気が起こる場合、だけを考えがちですが、②暴露があっても病気にならない③暴露が無くても病気になる④暴露が無く病気にもならない。というすべての例を考えなければならないということです。しかし、③の暴露が無くても病気になるということだけ見ればその暴露と言うものは病気とは関係ないようですが、実は①の例があるということで、因果関係がないと言うことは言えないということが、哲学者のヒュームが提示した問題だそうです。
こういった科学哲学というものをきちんと医学者には最初の段階で教育すべきというのが著者の主張です。

ここで言う③の場合というのは、例えばピロリ菌と癌との関係のようなもので、胃がんはピロリ菌によっても起こりますが、他の原因でも起こります。他の原因がいくら多くても、それがピロリ菌の発がん性を否定することは出来ないと言うことです。
この辺の議論は非常に難しいもののようです。さらに類書を探してみたいと思います。