爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「コンピューター社会が崩壊する日 フォン・ノイマンが仕掛けた3つの罠」逢沢明著

この本はかなり昔に読んだものですが、今となっては懐かしい思い出です。
1990年発行の今は無きカッパブックスの一冊で、当時の京都大学助教授の逢沢さんが書かれたものです。

ちょうどその頃は仕事で会社の一種の財産の記録の電子化ということを担当しており、とはいっても大掛かりなものではないためにパソコン(NECの9800)でちょこちょこと自分で作成していました。色々と独学で勉強しながら、このような本でコンピュータ文化というものについても知識を得ようとしていたものです。

その頃のパソコンのスペックというものはまったく初歩的な段階であり、まだWINDOWSもなく表示も何とか日本語になったばかりでした。補助記憶装置に発売したばかりのハードディスクを買いましたが、その容量が10Mbであったことを覚えています。

その10数年前には大学で大型コンピューターを使った計算を少々やっていましたが、その当時と比べるとその時点でもコンピュータの格段の進化と感じたものでした。しかし、コンピュータ自体の利便性はともかく、危険性というものもありそうだということは感じていたので、この本の記述は大変参考になりました。

当時も現在も、通常使われているコンピュータは「ノイマン型」と呼ばれていますが、これはコンピュータの初期の開発に関わったフォン・ノイマンという科学者に由来しています。しかし、本書に記述されているようにどうもそのすべてが彼の考えから出発したというわけではなく、多数の科学者の発想を上手くまとめた程度の役割だったようです。なお、フォン・ノイマンは数理が専門というよりはいろいろな分野の軍事技術の開発に関わっており、原爆の研究開発にも関わっていたそうです。そのような、軍事技術としての性格がコンピュータにも残っているということです。

ノイマン型コンピュータの特徴としては、”プログラム内蔵型”ということがあります。これは、内部のメモリーにプログラムを読み込んで記憶し、それを適宜読み出して動作するということで、基本的には現在のコンピュータはこの構造を取っています。なお、まったく異なるコンピュータというものも理論的には可能なようですが、実際に作られていないようです。

この特徴のために、コンピュータウイルスの作成も可能となってしまいました。この本が執筆された80年代後半にもすでに発生していますが、現在に至るまで延々と出現しておりそれを防御するワクチンプログラムの開発といたちごっこになっているのはご承知の通りです。当時はまだネットが未発達でしたのでプログラムやデータディスクに忍ばせる程度でしたが、ネットワークが発達した現在ではひどいことになっています。
また、ソフトウェアの作成というものが機械化はできず、非常に多数の技術者を必要としておりその人件費の問題もさることながら、ソフト開発者の待遇というものも問題であることが本書執筆当時にすでに指摘されており、この問題が現在ではさらに深刻化しているようです。さらに、その作成過程でのミスが発生する危険性を必ずはらんでおり、それを避けることは不可能です。一見出来上がっているかのようなソフトでも何らかの特殊な事態になった時にバグが現れて大事に至るということは頻繁に発生しています。
さらに著者はもう一つのコンピュータの危険性として「ゲームの理論」を挙げています。金融関係に応用されることで国際政治まで巻き込んだ世界的なゲームが繰り広げられるようになるという予言は現在みごとに的中しており、これが「グローバル経済」と美化されて呼ばれていますが実は「カジノ経済」に化しているということは現在他の論者が盛んに議論されている通りです。

このように20年以上前のコンピュータ発達の初期にすでに指摘されていたコンピュータ社会の危険性は是正されることも無く現在さらに危険の度合いを強めているようです。著者の先見性はすばらしいものであったということでしょう。