爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

再生可能エネルギー買取中断騒動

太陽光発電の電力の買取が急増したために電力の安定供給ができなくなるとして新規契約を中断しているそうです。
一応10kw以上の大規模業者が対象ということですが、中には個人でもそれを越えているために止まっているとか。

まったく予測どおりの展開で、意外と早く来たなという感想ですが、事業者たちは「突然の話でパニック」と話しているそうです。大金を投資するというのにそのいい加減さは驚くほどです。
買い取り中断を発表している電力会社に対して厳しい批判をしており、詐欺同然とか賠償金を払えとか言っているそうですが、相手が違うようです。

ただし、電力会社も無実潔白というわけには行きません。むりやりこのような制度を作ってきたのは政府主導ですが、電力会社も先行きの不安があることは当然よく分かっていたはずなのに、その指摘をまったく行わずに黙って政府に従ってきたのはなぜでしょうか。無理があることが分かっていたなら最初からその危険性を公表し買い取り可能な電力量の見込みを発表しておくべきでした。
それをしなかったというのはいかにも不自然です。まあ政府と共犯と思われても仕方が無いでしょう。

なお、どうしても「再生可能」という用語には違和感があります。現在人類が利用しているエネルギーのうち、地熱は地球が誕生して以来まだ残っている熱量を利用するというもので、原子力放射性元素を利用するものですが、それ以外のものはすべて「太陽からのエネルギーを利用したもの」です。

太陽光は現在降り注いでいる光そのものですし、風力は太陽熱で暖められた大気の移動から来ています。水力は太陽熱で蒸発した水分が凝縮した雨の移動によります。また、薪炭は太陽光を光合成に使った植物の炭水化物を利用します。
化石燃料という石油・石炭・天然ガスは古代に藻類や樹木が光合成で作り出した炭化水素が長時間かけて貯蔵されたものです。

このように、太陽から流れ込んだエネルギーが形を変えたものであり、決して「再生」しているわけではありません。あと数十億年後(だったかな)には尽きてしまい、太陽系は終わりとなります。まあ生物の歴史から見ればほぼ永遠とみなせるのは確かですが、この感覚の違いが問題点となります。

さらに、化石エネルギー以外の現在降り注いでいる太陽光を使ったエネルギーというのは、その変換に大きな装置を使わなければならないという避けられない性質があります。これはそれらのエネルギーが拡散しており希薄であるという性質であり、非常に濃縮している石油などと比べて大きな弱点となります。太陽光発電パネルや風力発電の支柱、巨大なダム等、それを作るための資源やエネルギーが非常に大きいものであり、そこから取り出せるエネルギーが小さいことと合わせて大きな問題点となっています。

このような難しい話は分かりにくくても、「再生可能エネルギー買取」には一般の電気利用者に多額の賦課金がかけられているということは誰にでも分かるでしょう。無理が大きすぎたアホ政策でした。