爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「川と国土の危機 水害と社会」高橋裕著

河川工学が専門で水害関連では権威と言われる東京大学名誉教授の高橋先生が岩波新書に一般向けの解説書を書かれました。

日本列島は数々の自然災害の脅威にさらされており、ドイツの会社の災害リスク評価によれば東京・横浜が指標710であるのに対し次がサンフランシスコの167、ロサンゼルスの100、その他の都市は40以下だそうです。
その災害とは地震津波、火山もありますが、多くは河川氾濫や土砂崩れなどの水害であり、日本はその脅威が非常に高い場所にあるようです。
今年の夏も各地で河川氾濫が相次ぎ、土砂崩れも大きなものが起こりました。

河川の治水ということは戦国大名もすでに手がけているように昔から大きな課題だったようです。
しかし明治以降の近代的な治水というものが始まり、それまでの比較的自由な氾濫制御から絶対に洩らさないということを目標とした治水工事が行われたことで、かえって極めて大量の降雨があった時の氾濫の大きさが拡大されてきたという面があるようです。
おそらく現在はほとんどの人が忘れているような利根川の氾濫が1947年のカスリーン台風時に起こっています。埼玉県の現在の加須市付近で堤防が切れ氾濫した水は東京まで水没させ10日間にわたり引かなかったそうです。
こういった水害は戦争前後で山も荒廃していたということや、堤防の補修も不十分であったということもありますが、それ以上に明治以来の治水というものがすべて川の両側を固めてしまって水を流すだけの水路としてしまったために、上流の降雨があっという間に下流に集中してしまうということが大きな要因だそうです。

また、土砂崩れや土石流災害というのも頻繁に起きていますが、これについては興味深い記述があります。1972年にも梅雨時期に土石流災害が多発したそうですが、その時の各地の被害状況を調べた時、「分家災害」という特色があったそうです。これは昭和36年の長野県伊那谷の36豪雨の被害状況調査の時にも著者が気付いていたということですが、被災した地域と言うのがどれも大正時代以降に新たに建てられた「分家」という家が多かったと言うことです。
人口急増のために今までは家が建てられなかったような危険地帯に家を作るようになり、土砂災害を受けやすくなったと言うことです。
この状況は今回の広島での大規模土砂災害でも当てはまりそうです。

近代の治水事業の大きな成果の一つには河川の流路変更がありますが、信濃川の排水路を設けた大河津分水もその一つです。難工事の末1931年に完成し新潟平野を氾濫から守ることができましたが、土砂の流れが変化したために新潟付近には土砂が堆積せず、海流のせいで海岸の砂がどんどんと浸食されるばかりになり、数百メートルもの規模で海岸の位置が変わってきたそうです。これは分水河口周辺の寺泊では逆に働き土砂の堆積で港が使えなくなりました。
この事実を著者が戦後まもなくの大学工学部の授業で学生に伝えたところ、レポートで「大河津分水工事は失敗だった」と書いた学生が居て著者は衝撃を受けたそうです。新潟平野を氾濫から救うと言う目的は立派に果たしたものの副作用として海岸浸食があったということで、失敗と見る気持ちはまったく無かったのですが、学生の意識としては「完全な工事が存在する」という理想があり、少しでも有害な影響が出るのは失敗と感じたのではないかと言うことです。

1974年に多摩川で堤防が決壊する水害があったのは、ちょうど私自身も大学生で毎日多摩川を見ながら通学していた時期でもあり身近なものでした。この被害者が河川工事の不備をめぐり訴訟を起こしたことは有名ですが、著者はその証人として法廷にたったそうです。国側に不利な証言をしたことで恨まれたということでした。

治水事業の一つとしてダムがありますが、その目的は数多いものの最近は氾濫防止と言う口実が多くなっているようです。しかし環境に及ぼす影響の大きさは激しく最近は否定的な感覚の方が多くなってしまいました。以前の水不足多発のころはダム工事の遅れを批判されるような風潮であったのが時代の変化とはいえ様変わりです。

川の水源地は日本ではほとんどが山林ですが、その国土の60%以上を占める山林地のうち70%が私有地だそうです。その管理は非常に悪く、山林の適正管理ができないだけでなく地下水の管理もできていません。なぜか日本の法律では地下水も地上の地主が勝手に使えることになっているために、土地を買ってしまえば地下水も取り放題ということになります。地方で現在進んでいる中国人などによる土地買占めもこのような危険性をはらんでいます。
このように水源地の保安林としての役割が重要なのですが、地籍調査もほとんど確定していない状況のようです。地方自治体の負担が大きいためにできないようですが、これも危険な状況です。

前記にのべたカスリーン台風の大水害を東京の人々はほとんど忘れていますが、もはやこのような水害が起こらないということはありません。流域の開発が進み水田などの緊急時の遊水地代わりになる面積も激減しているためにもしも中流域で堤防破壊が起きればカスリーン台風以上の大水害になる可能性も強いそうです。
破堤地も加須市と考えると、被災面積は530平方キロ、被災人口は230万人に上ると言うことです。浸水の深さも場所によっては5mに達する可能性もあるとか。相当な死者もでるようです。
しかし、その対策として堤防の増強をするとかえって住民が安心してしまい堤防の直下まで家を建ててしまうということが起きるようです。こういった災害意識がどんどんと失われてしまっているということは、東日本大震災の大防潮堤のために避難をせずにいて被災した人々のことを思い出させます。

広島の土砂災害でもそうですが、自分の住むところがどういった災害危険性を持つかと言うことをしっかりと認識し、非常時には速やかに避難するという自覚が必要なんでしょう。