爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「医学と仮説 原因と結果の科学を考える」津田敏秀著

いまだに、「タバコの発がん性は証明されていない」などということを医者や専門家でも言う人がいるようですが、本書はこういった言葉がいかに間違っているかと言うことをはっきりと述べているものです。

著者の津田さんは疫学が専門ですが、科学哲学というものにも深く通じておられるようです。
因果関係というものに囚われすぎると動きが取れなくなります。どうやらそれを口実にして動かなかったと言うことが薬害事件や公害対策などにおいては見られたようです。その辺のところは専門家であっても認識が乏しいと言うことがあるようです。

冒頭にあげられているのは、ヘリコバクター・ピロリ発がん性について、1994年に国際がん研究機関(IRAC)がすでに認めているにも関わらず、日本では1996年になって大規模な介入試験を実施すると言うことになったということです。これは経済的にも倫理的にも非常に問題があることで、すでに発がん性が決まったとされるものを多くの人に割り付けて発ガンの状況を見ると言うことになるので、人体実験とも言えるものでした。
IRACの決定に対して「直接的な証明がされていない」という反発があったが故の動きと見られ、そこには「実験的な証明」だけが科学的証拠と考えると言う不完全な科学認識があったと言うことです。

因果関係を推定するためには、観察をするという方法と、実験をするという方法があるわけですが、ともすれば実験をしたがると言うのが研究者の習性なのかも知れません。しかし、動物で実験をしても実際は人間では成立しないことが往々にしてあることが知られており、人間での実験と言うものが不可能な場合も多いために実験による証明と言うこと自体、必ずしもできるとは言えないということでしょう。

しかし、19世紀にベルナールやコッホによる実験医学が成功を収めたという体験から実験が不可欠と言うような意識が増えすぎてしまったようです。どんな複雑な事象でも細かく分けて考えれば理解できると言う要素還元主義というものも影響を与えたために医学の研究というものが極めて効率が悪くなるという事態に陥ってしまいました。

医学というものは人間を観察しなければならないと言うことです。著者も取り上げているように、患者認定は医学的判断によると言いながら、実際は補償金の資金と言う問題で制約されているという現在の水俣病問題もそこを忘れているように見えます。

タバコの害の認定と言うことにも要素還元主義の悪用というものが見えるようです。これを持ち出すと時間稼ぎには最適と言うことです。一見、非常に科学的な議論をしているように見えるためにごまかされてしまうと言うことで、このような例は日本には限りなく存在していたようです。日露戦争の時に脚気で多くの兵士が死んだのもそのせいかも知れません。

実は、因果関係が科学的に証明などされなくてもすぐに動けると言うのが日本にもあり、それは食中毒対応です。これはこれまでの数多くの食中毒事件対応のために整備されてきたのですが、それ以外の労災、公害、等々にはその経験がまったく活かされずにいい加減な法体系になっているそうです。

科学哲学の必要性を強調するほど、著者が疫学専門であるために、「疫学至上」と影口を言われることがあるそうです。しかし、そもそも新薬承認などでもやっていることはまったく疫学そのものの手法だそうで、その作用のメカニズムなどを問われることはないそうで、まったくその通りでしょう。

本書の語るような医者、研究者にも科学哲学が浸透していないということを知って、ようやく混乱の源が分かったように思います。